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阪神・江夏豊、田淵幸一黄金バッテリーの危機?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

売れっ子? の辻恭彦


江夏、田淵のバッテリー



 今回は『1972年7月17日号』。定価は100円。

 阪神、いや球界の若き黄金バッテリーと言えば、江夏豊田淵幸一なのだが、最近、どうも関係がおかしい。
 辻恭彦が右ヒジ痛のために戦列を離れた時期を除けば、江夏と田淵が最後まで組み続けることが減ってきたのだ。
 江夏が投げる試合は辻がマスクをかぶり、田淵は遠井吾郎に代わって一塁に入る。時々、このバッテリーでスタートしても、ピンチになって代わるのは江夏ではなく、田淵だった。
 実際、田淵のときにはよれよれだった江夏が辻と組むとピリッとすることも多く、
「田淵と江夏の呼吸は段々合わなくなっている」
 とウワサされた。さらに記者によれば、「実は村山(村山実)も辻を希望している」という。

 評論家の藤本定義元監督は、こんな分析をする。
「田淵は体が硬いから腰を割って低く構えることができない。江夏も村山も低めの制球力が大きな武器だが、ネット裏で見ていると、田淵のときは球が1個、ひどいときは2個高い」
 さらに言えば、リードの問題もある。
 田淵のリードは変化球が多い傾向があったが、それが江夏には合わないのではないか、と。

 もちろん、相手は、あの江夏である。田淵がどんなサインを出そうと自分の信じた球を投げる。クビを振りまくっているシーンがよく見られたが、結果的に、かなり時間がかかって、リズムに乗れないようでもあった。
 
 蛇足になるかもしれないが、この記事の中に、
「田淵が年上だが、入団は江夏。田淵はそんなことはお構いなし、入団した日から、江夏を「ユタカ」と呼び捨てにしていた。そんなことも二人の気まずい原因になっていたようだ」
 とあった。
 逆に江夏が田淵を「ブチ」と呼ぶことへの批判を読んだ記憶があったので少し驚いた。
 ただし、江夏は同じ高卒で入団が1年早い巨人堀内恒夫も「ホリ」と呼び、堀内が怒っていたことがあったが。

 では、またあした、いや、すいませんが、休日だったんで休みます。

<次回に続く>

写真=BBM
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