3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ナイスガイ・アルトマン
今回は『1972年7月24日号』。定価は100円。
7月4日、大阪球場の南海戦で、Bクラスに低迷するロッテの秘密兵器が一番打者に入った。
身長163センチの新人・
弘田澄男である。ノンプロ四国銀行からの入団で23歳、すでに結婚もしていた。控えでの途中出場が続いていたが、
大沢啓二監督が思い切ってスタメンに抜擢した。
「俺はオーナーからオールスターから(このとき首位の)阪急を追い込んで優勝圏内に突入しろと至上命令をもらった。そのために作戦を変え、相手投手に恐怖感を抱かせる方法を打ち出したかったのだ」
と話す。
大沢監督の頭にあったのは、同じく小兵選手、阪急の
福本豊だろう。弘田も足の速さには定評があり、バッティングも同様に力強かった。
この日は4打数2安打。果して、大沢監督の巻き返し策は奏功するか。
ロッテ打線のもう1つの話題が
アルトマンの打率だった。
39歳のベテランながら7月2日には、東映・
張本勲を抜いて打率トップに躍り出る。この日、張本が4打数ノーヒットで打率.366、アルトマンが4打数1安打で.368だった。
張本の4割挑戦が話題になった年でもある。
「ボクがトップに立ってもバッティングチャンプ(首位打者)は獲れっこない。ボクは歳だし、足も速くない。これから暑い夏でボクがばてる間に、ヒット打ちのうまいタフな張本は逆にこれからアベレージを上げていくよ」
あくまでアルトマンは謙虚。この選手は敬虔なキリスト教徒でもあり、チャリティーに熱心で、あしながおじさんとも言われた。
「いまはチームが不振のとき、だから僕は1本でもヒットを打ってチームの勝利に役立ちたい」
とも話していた。
言葉だけではない。この選手の言動を見ると、周囲に気配りし過ぎというか、貪欲に個人の成績を追い求めてはいなかったように感じられることがある。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM