特権剥奪――。ヤクルト時代の
野村克也監督の外国人選手操縦法の一つは、「絶対にわがままを許さない」ことだった。
1995年、ヤクルトに
トーマス・オマリーが加入。前年まで在籍していた
阪神で4年連続、打率3割をマークしていた好打者だったが、自由奔放な振る舞いも許されていた助っ人。だが、野村監督はこのオマリーにも練習メニューをしっかりと消化させるなど、厳しく接した。
シーズン中には走者一塁で打席に立ったとき、阪神時代と同様に「打席で気が散ってしようがない。オレの打席のときは盗塁させないでくれ」とオマリーは訴えたが、野村監督は自分本位の考えを許さなかった。
「ランナーが二盗を決めてお前が歩かされた場合でも一、二塁になる。チームにとって、どれだけチャンスが広がると思っているんだ」
野村監督の一喝で改心したオマリーは以後、不平不満をこぼすことなくフォア・ザ・チームに徹するようになる。結果、ヤクルトはリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは4勝1敗で
オリックスを粉砕。オマリーはシーズンと日本シリーズの両方でMVPに輝いた。ダブルMVPの栄冠は外国人選手としては64年の
スタンカ(南海)、85年のバース(阪神)に続く史上3人目の快挙だった。
「野球はチームプレー」と口酸っぱく説いた野村監督。時が経っても、その野球の心理は変わらないだろう。
文=小林光男 写真=BBM