週刊ベースボールONLINE

プロ野球回顧録

38歳で白血病を公表 最多勝、最優秀中継ぎ投手を受賞した「鉄腕」は

 

中継ぎ、先発で実績残す


独特のフォームから抜群の制球力を誇った攝津


 新人王、2年連続最優秀中継ぎ賞、沢村賞、最多勝、最高勝率……投手のタイトルを総ナメにした実績を考えれば、現役生活がプロ10年間だったことに「短い」と驚く野球ファンは多いだろう。ソフトバンクでセットアッパー、先発の柱として活躍した鉄腕・攝津正だ。
 
 秋田で生まれ育った摂津は秋田経法大付(現・明桜)高で3年春にセンバツ出場。社会人・JR東日本東北でエースとして稼働し、ソフトバンクにドラフト5位で入団する。入団時は下位指名で注目度が高くなかったが、1年目の10年に70試合登板、5勝2敗34ホールド、防御率1.47の大活躍で新人王を獲得。ブライアン・ファルケンボーグ馬原孝浩と結成した「勝利の方程式」は、3人のイニシャルを取り、親会社の携帯電話事業にもなぞらえて「SBM」と呼ばれた。翌10年も2年連続リーグ最多の71試合登板、4勝3敗1セーブ38ホールドで2年連続最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 攝津の投げ方は独特だった。オーバースローだがテークバックの小さいコンパクトなフォームで、コーナーに投げ分ける制球力は球界トップラスだった。決め球は2種類のシンカー。三振奪取能力が高く、直球も常時140キロ後半と決して球速が速いわけではなかったが、球のキレが良く打者は差し込まれた。救援で結果を残した選手は先発に転向して失敗するケースが少なくないが摂津は違った。

 11年から先発転向すると、5年連続で2ケタ勝利をマーク。12年は17勝5敗、防御率1.91で最多勝、最優秀投手(勝率.773)のタイトルを獲得し、沢村賞を受賞した。16年まで球団史上最長となる5年連続の開幕投手を務めるなど不動のエースだった。

 マウンド上では表情一つ変えず、喜怒哀楽を表に出さない。お立ち台でも口数は多くなかったのは、謙虚に努力し続ける東北人の気質なのだろう。チームメートからの人望が厚く、ファンからも愛されていた。

 だが、1年目から投げ続けた勤続疲労が影響したのだろうか。16年から一気に成績が落ちる。16年は2勝のみに終わり、17年は未勝利。球にキレがなく集中打を浴びる登板が続き、ファーム暮らしが長くなった。18年も2勝のみに終わり、若返りを図る球団の方針もあり戦力構想外に。現役続行を希望して他球団からのオファーを待ったが声は掛からず、引退を決断した。

今年1月にインスタグラムで……


 引退後は野球解説者や福岡の地元ラジオ局で大好きな「釣り」についてトークを展開するレギュラー番組などで活躍。「鉄仮面」と呼ばれた現役時代と打って変わり、さわやかな笑顔と軽妙なトークが印象的だったが、38歳で迎えた今年1月に自身のインスタグラムで「慢性骨髄性白血病」と診断されたことを公表した。

「まさか自分が白血病に…と驚きました。驚きと共に、しっかり治していこうと強く心に決めました。幸い薬を飲んでいけば大丈夫とのことで、運動や仕事、食事も今まで通りで良いとのことです」と報告した上で、「白血病という病気の理解、そして同じような病気で苦しんでる方の力になれば、何より白血病の種類によって治療で必要とされる骨髄の提供者(ドナー)が増えることを願って公表を決意しました。正しい病気の知識と骨髄バンクの理解、ドナー登録する人が1人でも多くなればと思うばかりです」と綴った。現役時代から「気遣いの人」で知られた摂津は周囲に過度な心配をさせたくないのだろう。「変わらず仕事も遊びも全力でしていきますので、仕事の依頼、ゴルフ&釣りの誘いお待ちしてます!」と明るいトーンで締めくくった。

 現役引退してからの人生の方がはるかに長い。もう一度、コーチとしてユニフォーム姿でグラウンドに戻ってくる日を待ち望むファンも多い。今後の活躍を祈るばかりだ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング