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個性がチームを強くする! ヤクルト・土橋勝征コーチの思い出

 

「第2のグリップエンド」でチーム打撃に徹した土橋勝征


 チームの層を厚くするのは、個性だ。四番打者のようなホームランバッターだけを9人並べても勝てない。1990年代、野村克也監督の下で黄金時代を築いたヤクルトは、まさにそんなチームだった。古田敦也をブレーンに、高津臣吾(現監督)や池山隆寛(現二軍監督)らを中心として、投打の役者がそろっていた。若くてイキのいい選手が集まっていたこともあり、当時のヤクルト人気はすさまじく、神宮球場には若い女性ファンも多かった。池山がトークショーで「タオルが欲しい」と言えば、ワゴン車1台分相当のタオルがクラブハウスに届けられたというから驚きだ。

 「野村監督は、オフにはバラエティー番組なんかにも積極的に出なさいというタイプでしたからね。それがプロ野球選手としてステータスにもなるということで」と話したのは高津監督。黄金時代を築いたヤクルトだ。当然、グラウンドはピリッとした緊張感に包まれていたというが、グラウンド外では「明るくて仲の良い、グラウンド内外の切り替えが非常にうまいチームだった」(高津)という。

 ただ、高津や池山のように、皆が皆、“イケイケ”だったわけではない。今季から新設された、育成コーチを務める土橋勝征(育成チーフコーチ)は言う。「高津監督はどちらかと言うと、明るく……。ムードメーカーと言ったら失礼かもしれないですけど、ワイワイやってチームを引っ張るのが得意な人だったから。オレはぜんぜん、そういうタイプじゃないけど(笑)」。どの打順、どの守備位置でも堅実に仕事をこなし、グリップにテープを何重にも巻き付けた“第2のグリップエンド”でチーム打撃に徹していた土橋は笑った。「何て言うかな。役割っていうのを、野村さんにすごく言われた。ホームランを打つのは、池山さんだ古田さんだ外国人だっているわけで。オレもたまにはホームランを打つけど、池山さんたちみたいにパカパカ打つわけじゃないから。それ以外にできることを考えろって、野村さんに教わってきましたね」。送りバント、進塁打、適時打……状況に応じた打撃で、名将の信頼も厚かった土橋。野球の華であるホームランをかっ飛ばす池山や古田、試合の最後を締める守護神・高津のような派手さはなくても、チームになくてはならない存在だった。

 まさに「堅実」を体現したような土橋は、バラエティー番組も「極力(出演は)断ってました。出たくないから。人前に出るなんてとんでもない。出なきゃいけないものは出たけど、断れるものはすべて断った」という。当時の華やかなヤクルトの選手の中では少々異質だが「でもね、そういうのがいないと、ダメなんですよ。いろんな人がいないとね。チームはいろんな色があっていいんですよ。みんな同じじゃつまらないでしょ。いろんなタイプがいるから、チームが強くなる」。個性の大切さを知る男が、今は育成チーフコーチとして、選手の個性を育てている。“縁の下の力持ち”的活躍で黄金時代を支えた土橋が、またヤクルトを強くしてくれるはずだ。



 ちなみに今回、土橋コーチの話を聞いたのは、好評発売中の小社刊「週刊ベースボール別冊 よみがえる1990年代のプロ野球」シリーズの取材。シリーズ4冊目、1997年編を4月末に発売する予定で、「時代の証言者」として登場していただく。現役時代より少しだけ饒舌な土橋勝征の思い出話に、ご期待ください。

文=依田真衣子 写真=BBM

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