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プロ野球回顧録

江川が自分より速いと認めたことはない!? 救援、先発でフル回転した中日の快速球右腕【プロ野球回顧録】

 

打者の体感は160キロ超え


76年、現役時代の鈴木。「お客さんに速い球で“魅せたい”という思いもありました」という


 いまなお史上最速投手として必ず名前が挙がるのが中日で活躍した鈴木孝政だ。1974年のリーグ優勝時には抑えとして貢献。以後は先発、リリーフとフル回転してチームを支えた。その後、右ヒジを痛め、技巧派にチェンジ。84年には16勝を挙げ、カムバック賞にも輝いた。

 非公式だがストレートは155キロを計測したことがある。ただ速いだけではなく、しなやかなフォームから浮き上がるような軌道。打者の体感は160キロを超えていたという。

 成東高では1年からエースとなり、2年夏の千葉県大会では41イニング連続無失点、秋季大会では13連続奪三振。甲子園には出ていないが、その名は全国にとどろいていた。当時、1学年下で、作新学院高の“怪物”江川卓が話題となった時期だが、鈴木は「確かに速かったが、自分より速いと認めたことはない」という。

 73年、中日に入団。1年目は一軍では春先の1試合登板に終わり、あとは二軍生活だった。2年目の優勝イヤーも二軍スタートだったが、6月に一軍昇格。リリーフ中心に頭角を現し、日本シリーズでは2試合に先発している。

 3年目には星野仙一に代わって抑えに定着。以後3年連続でリーグ最多セーブを挙げ、表彰タイトル的には75年が最多セーブ、セーブポイントが制定された76、77年は最優秀救援投手賞に輝いている。驚くべきは、そのすべてで規定投球回に楽々、達していることだ。

「先発もあったし、間が3日空くと3イニング、4日空けば4イニングみたいな感じですかからね。明らかな投げ過ぎでしょう。でも、投げるたびにお客さんに僕の名前と顔が一致していく。あれが気持ち良かった」

 しかも、76年は最優秀防御率に輝き、77年は星野と広島高橋里志と最多勝争いまでしている。

「最後は高橋さんが20勝で、星野さんと僕が18勝。星野さんに嫌そうな顔で『しつこい』と言われたことがあります(笑)」

 しかし、明らかな酷使の影響で78年途中、夏場まで10勝9セーブを挙げながら、右ヒジを痛め離脱。「それで年俸22パーセントダウンと言われ、驚いた。生涯で1度だけ保留し、10パーセント減にしてもらった」と振り返る。

 79年以降はヒジ痛との闘い。出ては休みを繰り返した。82年先発転向。緩急を駆使する技巧派にモデルチェンジし、84年には16勝を挙げてカムバック賞も手にしている。

「あのときは名古屋で12勝、外で4勝。遠征だと飲み過ぎるから勝てないのかと言われたよ(笑)」

 89年、3勝に終わり、同年限りで引退した。

写真=BBM

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