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日本人メジャーの軌跡

わずか25試合登板に終わった小宮山悟「ハングリーさが足りなかった」/日本人メジャーの軌跡

 

2002年、36歳の小宮山悟はメッツに入団して念願のメジャー移籍を果たした。ロッテを自由契約になった1999年オフにチャンスがあったが、このときは横浜入団。2年間プレーし01年オフにFAとなり、ロッテ時代の恩師、バレンタイン監督のメッツと1年50万ドルで契約した。

2試合目でサヨナラ被弾


メッツ時代の小宮山


 仮契約での会見で「夢に描いてきたメジャーのマウンドが現実になることを非常に喜んでいる」と胸を膨らませていた。頭脳派として知られていた先発投手。「日本のグレッグ・マダックス」と言われていた。だが年齢のこともあり、メッツでは中継ぎの軸として期待された。デビュー戦は開幕3試合目、4月4日に本拠地で行われたパイレーツ戦だった。2対3とリードされた9回に四番手として登板。わずか9球で打者3人を退けて、上々のスタートを切った。

 しかし2試合目となった4月7日、敵地でのブレーブス戦でメジャーの洗礼を浴びてしまう。2対2の14回にマウンドへ。この回先頭のゲーリー・シェフィールドに死球を与え、捕逸で無死二塁。一死後、元ロッテのフリオ・フランコを敬遠。ここで七番のマーカス・ジャイルズに左越えサヨナラ3点本塁打を浴びて敗戦投手になった。

 結局、その後も安定感を欠いてメジャーに定着できず。3Aでは17試合(うち先発6試合)に登板して3勝1敗、防御率1.42と貫録を見せたが、メジャーではリリーフのみで25試合に登板して0勝3敗、防御率5.61と不本意な数字に終わった。2002年シーズン終了後にバレンタイン監督が解任され、小宮山も退団。小宮山は後にメジャー時代を回顧して「ハングリーさが足りなかった」と振り返っていた。

 この後、1年間の浪人生活を経て04年には古巣の千葉ロッテに復帰。6年間プレーを続けた。かたわら早大大学院でスポーツ科学を研究して修士号を取得した。引退後は野球解説者を務めて19年、早大野球部監督に就任。昨秋には東京六大学リーグ優勝を果たした。

 プロ野球生活19シーズン。アメリカではわずか1シーズンだったが、学生を指導する立場になった現在、大きな財産になっているはずだ。

『週刊ベースボール』2021年4月5日号(3月24日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images

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