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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

ただの中日ファンだった女子高生が、週刊ベースボールの編集部員になって憧れの選手にインタビューした話/編集部員コラム

 

引退時の浅尾拓也


 先日、6月2日発売予定の『中日ドラゴンズ85周年史』用に、中日・浅尾拓也二軍投手コーチにインタビューを行った。新型コロナ禍で、取材は電話。それでも、かつて制服の上に浅尾のユニフォームを着て球場に行っていた私は、胸にくるものがあった。

 誰から見ても、浅尾拓也という投手はカッコよかった。私が女子高生だったころが、ちょうど中日が連覇を果たした2010、11年。無死満塁のピンチに放り込まれても無失点で切り抜けるセットアッパーを、好きにならないはずがなかった。端正な顔立ちに、158キロのストレート。鋭く落ちるフォークに目を奪われた。野球少年だった弟の影響もあるが、浅尾のおかげで野球が大好きになった私は、大学生になって、「野球に携わる仕事がしたい」と思うようになった。そのころの浅尾は右肩を痛めて苦しんでいたが、それでも私の野球熱は冷めることなく、札幌から沖縄まで中日を追いかけていた。

 浅尾がMVPを獲得した2011年、小社から『スポーツアルバム 浅尾拓也』という本が出ている。編集長いわく「バカみたいに売れた」というその本は、女子高生だった私も2冊購入した。掲載しているインタビューのタイトルは「夢、叶うまで」。一人のファンとしてスタンドで試合を見ていたころは、週刊ベースボールの編集部で働く今の自分を想像すらしていなかった。ただ、10年間心のどこかに「夢、叶うまで」という言葉があったと思う。多くの人が、プロ野球選手は“夢を与える仕事”だと言う。浅尾拓也というプロ野球選手が私に与えてくれた夢は、ほかでもない本人の言葉に後押しされて、叶えることができている。

 インタビューは、聞きたいことが山ほどあった。浅尾が出ていた新聞や雑誌、動画はくまなくチェックしていたから、あの話はみんな知っているはず、知らない話が聞きたいと、質問事項がたくさん浮かんだのだ。コーチになった浅尾は、約40分、私の拙い質問に真摯に向き合って答えてくれた。そして取材を終えたあとは、「ありがとうございました」と言ってくれた。ファンにサインを求められたときと同じなんだなと、ずっと変わらない浅尾の姿勢がうれしくて、泣きそうになった。「あなたのおかげで夢が叶いました」とは、おこがましくて伝えられないけれど、いただいた恩はインタビュー原稿で返したい。

文=依田真衣子 写真=BBM
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