3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 獲得するなら会議後のほうがお得?
今回は『1972年12月18日号』。定価は100円。
1972年11月28日、この年もガラクタ市、じゃなくウェーバー会議が行われた。
ガラクタ市というのは、別に連載担当者の意見ではなく、当時の記事中にあったものだ。
トレード会議とも言われ、各球団から20パーセント、136人のメンバーを提出し、各球団でドラフトするというもの。
巨人が日本一になったので、パの最下位から首位、セの最下位から首位の順で指名していき、1巡目は200万円+当該選手の年俸、2巡目は100万円+当該選手年俸、3巡目以降は年俸分のみトレードマネーとして相手チームに渡す、ことになっていた。
ただ、1チーム10人ちょっととなると、戦力外選手、打撃投手、ブルペン捕手的役割の選手で、ほぼ埋まる。
どうせいらない選手を「もしかしたら少しお金になるかも」というスタンスは、確かにガラクタ市だ。
スタート時の目的は、力はあるが、チーム内の戦力バランスで飼い殺しになり、チャンスがない選手に新天地を与えるとともに、各球団の戦力を均衡させ、よりスリリングなペナントレースにするという目標があったが、ほぼ機能していない。
コミッショナーは「40パーセントくらいにしないと意味はないのだが」と言っていたが、各球団にしたら、「何を言っているんですか。せっかく金をかけて育てた選手を、はいそうですかと出せますかいな。それより、もっと自分のところで育てるべきですよ」(巨人・佐々木代表)
というのが本音のようだ。
ただし、今回は、中日の
バート・シャーリー、
ジョン・ミラー、近鉄が
辻佳紀など獲得の声が掛かりそうな大物の名前が上位にあったが、指名はなし。
「出す気があるのが分かったわけですし、それなら会議後交渉したほうが、年俸も安く獲得できますしね」(某球団関係者)
結局、指名は3巡目以降で8人だけだった。
南海・
野村克也監督は言う。
「まるで実のない、あほらし会議」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM