今シーズンで中日が球団創立85周年を迎えていることは、ファンの皆さんならご存知だろう。選手たちのユニフォームの右袖には85周年のロゴマークがついている。
そこでわが社もドラゴンズの85周年を記念し、その歴史を振り返ることにした。「中日ドラゴンズ85年史」は6月2日発売。レジェンドOB対談、現役&OBインタビュー、監督インタビューに歴代記録や貴重な写真の数々。全140ページの完全保存版だ。
インタビューで
杉下茂さんにお会いした。伝説の名投手だ。その杉下さんがこんなエピソードを披露してくれた。
「水さんに相談されたんだよ。おいスギ、星野というのは、ありゃ使えんぞ。試合の終盤になると、ちびりよるから」
水さんと言うのは
水原茂、星野というのは
星野仙一だ。
巨人、東映を日本一に導いた名将の水原茂がドラゴンズの監督に就任した1969年、ドラフト1位で明大から入ってきたのが星野さんだったのだ。
「だからね、僕は水さんに言ったの。だったらリリーフをさせたらどうですかと。そうすれば、ちびりなんてなくなりますからとね」
燃える男も最初はちびり症だったのかと考えると思わず苦笑してしまう。取材の最後に杉下さんが「85年になるんだなあ」とつぶやいた。そして「僕は95歳なんだけども」とニヤリ。これにも苦笑してしまった。
杉下さんを取材した翌日、今度は
権藤博さんに話をお聞きした。まるでタイムマシンに乗っているような感覚だ。杉下さん同様、権藤さんも歓迎してくれた。
「プロに入団してからこれまで、ずっと名古屋に住んでいますよ。もう60年になりますかね」と口にした。98年に大魔神こと
佐々木主浩、そしてマシンガン打線を率いて横浜を日本一へ導いた指揮官。その権藤さんがしみじみと言った。
「できれば中日の監督として優勝したかったですね」
昨日、杉下さんにお会いしたと言うと、「お元気でしたか?」と聞いてきた。そこから杉下さんの話になり、背番号20は永久欠番になるべきだったのにと強調していた。そしてもう一人、永久欠番にすべき番号があったのだと……。
話の続きは「中日ドラゴンズ85年史」で。それを手にして、私と同じようにタイムマシンに乗った感覚を少しでも味わっていただけたら、作り手としてこれほどうれしいことはない。
文=牧野 正 写真=BBM