3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 年俸アップにエモボールを開発
今回は『1973年4月30日号』。定価は100円。
前年1972年のサプライズの1つにヤクルトの新人・安田猛の最優秀防御率があった。
小柄で球も遅い。ある意味、投球術だけで勝負するタイプだったからだ。
その安田は73年に向けた目標をこう語る。
「僕の目標はただ1つ。今年も防御率だけです。極端な言い方をすれば、勝ち星なんかいりません。だから少なくとも2点台に抑えたかった」
もし実現すればセでは国鉄・
金田正一以来となる。
三原脩監督は、
「ピッチングのコツを知っているという点では堀内(
堀内恒夫)や江夏(
江夏豊)と一歩も引けをとらない」
と称賛。
安田自身は、
「僕は堀内や江夏らと違ってチームのエースじゃないから、目標をこれ一本に絞ればいい。余計な神経を使わなくていいので、その分だけ僕が有利なはずです」
この年の結果を知って読むと、なかなかすごい言葉だが、同時に「どうせウチは優勝争いをしないし」みたいな深読みもできる。
東映から移籍2年目の南海・
江本孟紀は前年の16勝に迫る成績を、と燃えていた。
理由の1つは契約更改だ。東映時代の年俸が120万円(すべて推定)だった江本は、南海1年目の16勝をもって480万円で契約した。ただ、このとき本人は600万円要求し、ゴネた。
「20勝投手が800万から1000万円もらっているんだから16勝の僕が600万円でもおかしくないでしょ」という言い分だった。
これに対し、近藤球団代表は「実績がない」と跳ねのけようとしたが、江本は、
「それじゃ、16勝がフロックというんですか」と主張。
73年も16勝近い数字を出せば希望どおり上げてもらう約束をした。
1年目は相手の研究不足があったことは江本自身も分かっており、秘密兵器として新球を編み出した。いわゆる“エモボール”だ。
ボールをいろいろな握り方で投げていた中で、「まったく予期しないへんてこな球」が投げられるようになったという。フォークとチェンジアップをミックスしたような変化をする球だという。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM