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プロ野球はみだし録

荒れる助っ人の「49」? 巨人クロマティにき、広島アレンも大門を追いかけ回し……【プロ野球はみだし録】

 

追うアレン、追われる大門


広島・アレン


 プロ野球の背番号と語呂合わせについては紹介したばかりだが、ネガティブな意味での語呂合わせもあってか、助っ人の背番号という印象が強いのが「49」。「死」と読みが通じる「4」と、同じく「苦」と通じる「9」が並んでいるわけだが、「49」を背負った助っ人で筆頭格は1984年から90年まで巨人でプレーしたクロマティだろう。30年あまりを経た現在でも巨人で“史上最強”と評される助っ人で、89年にはプロ野球で初めてシーズン規定打席に到達した時点で打率4割を維持するという離れ業を見せている。

 極端なクラウチングの打撃フォームや賛否のあった派手なパフォーマンスでも印象を残したクロマティ。87年に死球に怒ったクロマティが中日宮下昌己を“襲撃”したことは、この『はみだし録』でも少し触れたことがあったが、投手に襲いかかった「49」の助っ人はクロマティだけではない。89年から91年までの3年間を広島でプレーし、クロマティの日本ラストイヤーとなる90年までの2年間を同じ「49」で過ごしたアレンだ。

大門を追いかけ回すアレン


“事件”は、その90年に勃発する。6月24日の大洋(現在のDeNA)戦(横浜)。7回表に本塁に突入した際に捕手の秋本宏作に激突、負傷させたアレンは、その後の打席で投手の大門和彦から厳しい内角攻めを受ける。これを報復と思ったアレンは激怒して、大門を追いかけ回した。もちろん、アレンは退場に。この90年に98試合で25本塁打を放つなどバットでも破壊力を発揮したアレンだったが、クロマティほどの実績を残すことはできず、この騒動のほうが印象に残っているというファンも少なくないだろう。

 ちなみに、このときアレンに代わって打席に入ったのは、最終的には通算2119安打を残すことになる新人の前田智徳。まだ背番号は「51」、これがプロ12打席目で、あえなく遊ゴロに倒れている。また、アレンは翌91年に背番号を変更。プロ野球で初めて「0」の選手を輩出した広島で、初代の「00」となっている。広島は20世紀で最後のリーグ優勝。だが、アレンは68試合の出場、9本塁打にとどまり、そのオフに退団している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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