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ドラゴンズの背番号98を忘れない

 


 8月8日にバンテリンドームで行われた西武とのエキシビションマッチ。中日は自軍のベンチに3日に亡くなった木下雄介さんのユニフォームを掲げて試合に臨んだ。選手、スタッフ、関係者らが喪章をつけ、試合前には黙とうを捧げ、早過ぎる死を悼んだ。

 ナゴヤ球場のトレーニング施設で意識を失い、そのまま病院へ搬送された。それが7月6日のことだったから、1カ月ほどの入院生活を送っていたことになる。容態の変化については分からず、家族の意向により死因も非公表のままだが、27歳の突然の死は言葉にならない。

 開幕を5日後に控えた3月21日の日本ハムとのオープン戦。木下雄さんはこのバンテリンドームで右肩を脱臼した。投球直後にマウンドでうずくまった姿を覚えているファンも多いはずだ。あれから4カ月半、復活に向けてリハビリに励んでいる最中の出来事だった。

 木下雄さんの経歴を語る上で欠かせないのは、独立リーグから育成でのプロ入りだが、それ以前が波乱に満ちている。駒大の野球部を退部し、大学も辞めた。実家の大阪に戻って遊びまくり、アルバイトで日銭を稼いだ。就職して営業マン。しかしそのときになって自分が一番やりたいことに気づいた。

 背中を押してくれたのはアルバイト時代に知り合い、交際中だった妻の茜さんだ。「野球をやったらええやん」。四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに練習生として参加し、支配下選手となり、やがてプロのスカウトたちの眼にとまった。育成で指名したのは中日。2016年秋のドラフトだった。

 背番号が201から98と目標の2ケタになったのは入団2年目。すでに結婚し、子どももいた。愛する家族を呼び寄せ、寮を出て3人の生活をスタート。キレのあるストレートと激しく落ちるフォークを操り活躍、短いイニングで全力投球するリリーフのマウンドがよく似合った。昨年はプロ初セーブを挙げ、満面の笑みを浮かべた。

 今年2月、中日キャンプを訪れた元阪神藤川球児さんが「12球団ナンバーワンのリリーフになれる」と絶賛したのが木下雄さんだった。リリーフとして一世を風靡した大投手からのコメントは何よりも大きな自信になっただろう。右肩脱臼の悪夢はそれからわずか1カ月後のことだった。

 侍ジャパンの一員として東京オリンピックの金メダルを獲得した大野雄大投手は、表彰式で金メダルを夜空に掲げた。リハビリに励んでいた木下雄さんから「金メダル取ったら見せてくださいね」とお願いされていたという。「あいつに報告できてよかったです」と口にした。

 眉間にシワを寄せ、懸命に腕を振る姿が印象深い。木下雄さんはもういないが、マウンド上で躍動する背番号98の姿は、いつまでも多くのファンの心の中に生き続けるはずだ。

写真=BBM
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