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日本人メジャーの軌跡

「何一つ悔いはない」結果を残せなかったがメジャーで燃え尽きた桑田真澄/日本人メジャーの軌跡

 

桑田真澄がメジャーに挑戦したのは2007年であった。巨人で通算173勝。2006年に退団してパイレーツとマイナー契約を結んだ。若いころからメジャーに興味を持っていた桑田としては、夢への第一歩を踏み出したのであった。パイレーツ側は桑田が全盛期を越えていたことは理解していたが、短いイニングなら戦力になるのではないかと考え、また野球に取り組む姿勢が若手の手本になるだろうと期待した。

アクシデントに見舞われながら


パイレーツ時代の桑田


 パイレーツとの契約には、オリックスで投手コーチを務め、日本の野球をよく知るジム・コルボーン投手コーチの存在が大きかった。スプリングトレーニングに招待選手として参加してメジャー昇格を目指すことになったが、3月26日のブルージェイズとのオープン戦でアクシデントに見舞われた。

 中前打を打たれて三塁のバックアップに走った際に審判員と激突し右足首のじん帯を断裂。長期離脱を余儀なくされた。リハビリを続け、6月初旬にマイナーの公式戦に登板。パイレーツは中継ぎ陣が壊滅状態で、メジャー昇格の機会を得る。6月10日、敵地のヤンキース戦でメジャー初登板を果たした。このとき39歳70日。当時、日本人選手のメジャー・デビューでは最高齢だった(2009年に高橋建が40歳16日)。

 6対8とリードされた5回、ヤンキー・スタジアムのマウンドに登った。この回は3人で片づける。だが6回二死から四球のあと、アレックス・ロドリゲスに右越え2ランを浴びた。続く松井秀喜を歩かせたが後続を断った。2失点のデビュー戦の後は、5試合連続無失点とベテランの味を見せた。6月21日のマリナーズ戦ではイチローを空振り三振に仕留めている。

 しかし10試合目の登板となった7月2日のブリュワーズ戦、3対3の7回に登板し満塁本塁打を喫するなど2/3回を5安打、7失点と炎上。敗戦投手になった。ここから打ち込まれることが増え、8月13日のジャイアンツ戦で1回を投げて5失点だったのを最後に戦力外となる。19試合に登板し0勝1敗3ホールド、防御率9.43という成績だった。

 08年もパイレーツのスプリングトレーニングにマイナー選手ながら招待されたが、開幕前にニール・ハンティントンGMから「若手を使うのでメジャーで投げる可能性はない」と告げられ、引退を決めた。アメリカでは苦しむことの方が多かったように見えるが、本人は「燃え尽きたという気持ちになった。何一つ悔いはない」と語っていた。充実感をもって、アメリカで現役生活に幕を下ろしたのだった。

『週刊ベースボール』2021年8月16&23日号(8月4日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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