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プロ野球はみだし録

中村勝広監督の「大きな“お土産”を持って帰りたい」が誤爆に? 阪神1992年の痛快無比【プロ野球はみだし録】

 

“お土産”はさわやかな青春の1ページ?



 この2021年のセ・リーグを見ると、つい思い出してしまう1992年シーズン。このとき開幕から好調を維持しながらも、最後の最後でヤクルトに追い抜かれ、巨人と同率2位に終わったのが阪神だ。ただ、当時の阪神としては健闘だったことは間違いない。85年にリーグ優勝、日本一を飾ったものの、87年には早くも最下位に転落。やはり最下位でスタートした90年代はBクラス9度、つまり92年が唯一のAクラスであり、それも2年連続の最下位、5年連続のBクラスからの急浮上でもあった。ちなみに、90年代の阪神は最下位が6度もあったから、それだけに92年の躍進は際だって見える。

 後半戦は首位を走るヤクルトを巨人と阪神が追う三つ巴の展開。ヤクルトの野村克也監督も最後は巨人との決戦になると考えていたといわれ、それだけ阪神の健闘は意外なものだった。だが、巨人どころか、最後にヤクルトの前を走ったのが阪神だ。ただ、新庄剛志との“新亀コンビ”(亀新コンビとも)でフィーバーの立役者となった亀山努が“事件”と表現したハプニング(?)が起きる。

「9月の終わりから長い遠征があったんですが、その前に中村(勝広)監督がマスコミの前で『大きな“お土産”を持って帰ります』と。あそこから選手が硬くなり始めた。球場に行くバスの中ではアップもしてないのに汗だく。夜は寝られないし。さすがの新庄も硬かったんじゃないかな。監督もおかしかった。前半戦の僕は“バントしない二番バッター”。それが突然バントのサインばかり出して。それこそバントのうまい平田(勝男)さんさえベンチでえずくようなプレッシャーのかかる場面で、急にやれって言われてもね……」とは亀山の回顧だ。阪神は本拠地の甲子園で迎えた10月10日からのヤクルト2連戦で連勝すればヤクルトとのプレーオフの可能性を残していたが、初戦で敗れている。

 阪神ファンにとっては忸怩たるシーズンだったかもしれない。ただ、勝敗にこだわらないプロ野球ファンに、このシーズンの青く、若々しく、そしてオチまでついた(?)阪神が好きでたまらない、という向きも少なくないのではないか。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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