同学年の「71年世代」
現役時代の前田氏。求道者として打撃を極める道を歩んでいた
日本ハム・
新庄剛志監督が元
広島で野球評論家の
前田智徳氏に、来年の春季キャンプで「臨時コーチ」就任のラブ
コールを送ったことが話題になった。
新庄監督は11月15日に自身のインスタグラムを更新。ストーリー機能で前田氏の画像を添付すると「同級生の天才前田さんキャンプに選手を教えに来てくれないかな!?話してくれるかな!?」と思いを綴った。そして、「ギャラ高そう!!」と記した上で、土下座する絵文字を添えて懇願していた。
新庄監督と前田氏は同学年の「71年世代」。新庄監督と前田氏は九州出身で高卒の同期入団と共通点が多い。現役時代はともに「スーパースター」として活躍したが、キャラクターは対照的だった。新庄監督は華やかで強肩を生かしたダイナミックなプレー、勝負強い打撃で一挙手一投足が派手だった。敬遠球に飛びついてサヨナラ打を放ったり、
阪神時代は
野村克也監督の発案で投手と外野手の「二刀流」に挑戦。球宴で史上初の単独本盗を決めてMVPに輝いたことも。日本ハムでは試合開始で守備へ就く際に、大型バイクのハーレーダビッドソンを運転して守備位置へ向かうなど「新庄劇場」と呼ばれる破天荒なパフォーマンスでファンを喜ばせた。
現役時代は派手なプレーで魅せた新庄監督
一方、前田氏は「打撃の求道者」と呼ばれ、打席で醸し出す雰囲気は武士のようだった。本塁打を打っても首をかしげてダイヤモンドを一周する。自身が目立つのを嫌がり、メディアの前に姿を現す機会も少なかった。ただその実力は唯一無二。広島一筋24年間の野球人生で通算2119安打をマークしている。現役時代に対戦した
落合博満は打撃指導の際、「前田は理想の打撃フォーム」と絶賛。勝負どころで滅法強く、「集中力が研ぎ澄まされた前田にはどこを投げても打たれる」と他球団の投手たちを震え上がらせた。
前田氏は決して順風満帆な野球人生ではなかった。攻守走3拍子そろったプレースタイルでプロ3年目の1992年から3年連続打率3割をマークしたが、95年5月23日の
ヤクルト戦(神宮)で二ゴロを打った際、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。選手生命の危機に陥る大ケガでその後のプレーにも影響を及ぼすようになった。万全のコンディションで試合に臨む日は少なかったが、その後も打率3割を8度マーク。高度な打撃技術と強靭な精神力は凄みを感じさせた。
引退後も対照的な歩み
2人は現役引退後の歩みも対照的だった。新庄監督はインドネシア・バリ島に移住していたが、19年に現役復帰を突如宣言。1年間のトレーニングを積み、昨年12月の12球団合同トライアウトでは現役時代と変わらないシェイプアップされた姿で安打を放った。NPBの球団から声がかからず夢は叶わなかったが、前代未聞の挑戦が大きなインパクトを残した。
前田氏は13年限りで現役引退後、野球評論家になると寡黙なイメージが一変。視聴者を魅了する饒舌なトーク術で「前田ワールド」と人気に。大好物のスイーツについて熱弁する姿が話題となった。かつての広島の同僚たちは「前田さんは話すのが好きですよ。自分の好きな分野になると止まらなくなりますから」と口をそろえる。勝負師から解放され、今が飾らない素の姿なのかもしれない。
YouTubeチャンネル「背番号5【テレビ朝日@5ch スポーツ公式】に出演した際、新庄監督について語っている。「前田の『ま』の字も覚えていないと思う。メジャーに行かれて1つも覚えていないと思いますよ。同級生だけど5つか6つぐらい下にしか見られていないと思う。『前田って誰? あっそう』」と冗談交じりに語り、「(来年の春季キャンプは)挨拶に一番に行きたいなと思うですけど、取材を受けてくれるかどうかですね。そこだけ不安です。何とか頑張って取材を受けてくれるようにしつこくいきたいなと思います」と対面を楽しみにしていた。
性格や野球人生の歩みは対照的だが、お互いに惹かれ合っているように映る。新庄監督が願う前田氏の「臨時コーチ」は実現するだろうか。
写真=BBM