3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 リラックスムードで「今日試合でしたっけ?」
今回は『1973年8月27日号』。定価は100円。
甲子園夏の大会。8月9日、栃木代表・作新学院高の宿舎の光景だ。
この日は、作新にとって夏の甲子園初戦、柳川商戦の日だ。
江川卓は日課となっている朝の散歩のあと、球場入りするまでの時間で将棋をし、馴染の記者たちと談笑していた。
「僕は10手先までを読みます」と言い、隣で指していた記者に、
「その腕じゃ、僕に挑戦するのは無理ですよ」
と言って笑った。初戦の緊張はまったく感じられない。
さらに記者に聞く。
「今甲子園には、どれぐらいお客さんが入っているんですか」
「ラジオでは2万人と言っていたよ」
「少ないですね」
「でも、江川君がいけば、すぐ5万人くらいになるよ」
「え、あれ、きょう僕、出るのですか」
「……」
「僕、今日試合?」
会話していた記者はあっけにとられ、言葉を失ったが、あとで
「最初は僕もびっくりしたが、よく考えてみると試合を忘れるなんてありっこないよね」
と話していた。
ただ、捕手の小倉は少し神経質になっていた。
「春ごろに比べたら江川のスピードは半分しかないですからね。今日のリードのことで頭がいっぱいです」
甲子園では、柳川商のおよそ3000人の応援団がアルプスに詰めかけていた。
女子生徒が「江川!」と叫ぶと男子生徒が「つぶせ!」。ブラスバンドは北原白秋の「からたちの花」を演奏している。
古賀市長は、
「これ以上の相手はいない。絶対勝ちますよ。私たちはきょうは決勝戦のつもりでやってきた。江川が怪物と言っても同じ人間じゃないですか。ハイセイコーだって負けたじゃなかとですか。ウチは江川の研究を徹底的にしています」
試合は江川が3回まではきれいに3人ずつで終わらせた。いつもの江川とまったく変わらず見えた。
しかし、柳川商は簡単な相手ではなかった。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM