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プロ野球回顧録

捕手のサインが見えないのに通算159勝 抜群のトーク力が定評の「剛速球右腕」は

 

最強の先発3本柱の一角


投手としてあふれんばかりの才能があった槙原


 野球選手にとって「視力」は生命線と言える。その中でマウンドから18.44メートル離れた捕手のサインが見えず、ブロックサインでやり取りしていた投手がいた。巨人で通算159勝をマークした槙原寛己だ。

 プロ野球の長い歴史で「最強の先発3本柱」を聞かれた時、巨人の槙原、斎藤雅樹桑田真澄を挙げる野球ファンは多いだろう。斎藤は「平成の大エース」と呼ばれ、最多勝5回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、最多奪三振1回。史上4人目の沢村賞を3回受賞。サイドスローから威力十分の直球、スライダーを武器に180勝96敗11セーブ、勝率.652と抜群の安定感だった。桑田は投げるだけでなく、野球センスが抜群だった。名門・PL学園高で1年からエースを務めて甲子園に5度出場して2度優勝。巨人に入団後もエースナンバー「18」を背負い、通算173勝141敗14セーブをマークした。この大投手2人よりも、「投手としての才能は上」と他球団を恐れさせたのが槙原だった。

 剛速球投手として、愛知県の大府高の時からその名を轟かせていた。3年春のセンバツに出場すると当時の甲子園史上最速の147キロを計測。巨人入団2年目に12勝9敗1セーブで新人王を獲得する。84年は終速表示で155キロを計測。現在の投手で言えば、ロッテ佐々木朗希とイメージが重なる。積んでいるエンジンが他の投手と違った。

 直球で真っ向勝負の投球スタイルは手痛い一発を浴びることも少なくなかった。85年4月17日の阪神戦(甲子園)でバース、掛布雅之岡田彰布にバックスクリーン三連発を浴びている。だが、投球スタイルを変化したことで輝きを放つ。スライダー、フォークを習得したことで投球の幅が広がり、92年から4年連続2ケタ勝利、97年も12勝をマークする。

94年には平成唯一の完全試合を達成


 最も印象深いのが、94年5月18日の広島戦(福岡ドーム)。中2日の先発で102球を投げ、史上15人目の完全試合を達成する。平成で唯一の偉業だった。球界200人にアンケートした週刊ベースボールの企画「最強投手ランキング」で、元広島の小早川毅彦氏は槙原の名前を挙げている。

「やはり唯一、完全試合をされたことが一番。常に点を取れなかった印象が強い。速い真っすぐがあって、『止まって、落ちる』あのフォーク。遠藤(一彦)さん、牛島(和彦)、佐々木(主浩)、野茂(英雄)と、フォークの名手とは数多く対戦しましたが、その中でも一番は槙原です」

「球種が分かっても打てない」


 槙原は視力が悪かったため現役時代はコンタクトレンズを使用していたが、それでも捕手のサインが良く見えなかった。胸や肩を触るブロックサインが相手球団から見破られて攻略されたケースも。だが、「良いときの槙原は球種が分かっていても打てなかった」と当時対戦した打者は振り返っている。こんな投手はなかなかいないだろう。
 
 通算200勝で名球会入りの可能性は十分あったが、90年代後半に守護神に回り、56セーブを挙げたことも大きな価値がある。2000年以降は右肩痛など度重なる故障で満足に投げられず。01年限りで斎藤と共に現役引退した。通算463試合登板で159勝128敗56セーブ。登板数は3本柱の中で最も多かった。

 現役引退後は07年オフに巨人の臨時コーチとしてキャンプに参加したが、1年を通じてコーチとしてユニフォームを着たことはない。野球評論家として長年活動し、「軽妙で面白い」とトーク力に定評がある。昨年2月にはYouTubeチャンネル「ミスターパーフェクトチャンネル」を開設。飄々とした語り口でこれからも野球の魅力を伝えていく。

写真=BBM
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