週刊ベースボールONLINE

MLB最新事情

【MLB】大谷翔平によって掘り返される異彩を放つ「ニグロ・リーグ」の歴史

 

ニグロ・リーグが1927年[昭和2年]に来日した際に野球界の表紙になったが、これがニグロ・リーグ野球博物館に保存されており、イチローも見たという[左がオニール・プーレン、右が浜崎真二。写真提供=Negro League Museum]


 ベーブ・ルース以上の飛距離を誇ったという大砲ジョシュ・ギブソン、速球王ボブ・フェラーより速い球を投げたというサチェル・ペイジ。20世紀前半に存在したニグロ・リーグには数多くの伝説があるが、おおむねアメリカでは「しょせんはメジャーにかなわない」という思い込みがあった。

 だからニグロ・リーグ野球博物館代表ボブ・ケンドリックさんに、大谷翔平の活躍について聞くと鬱憤(うっぷん)を晴らすようにこう言った。

「偉大なイチローがアメリカに来た2001年を思い出してほしい。メジャーではどうかと疑問符を付けた人が少なからずいた。こういう見方は長年ニグロ・リーグの選手にも向けられていた。どれだけすごかろうと、メジャーでは同じようにはいかなかったはずだと。それがイチローはメジャーで3000本を打ったし、ショウヘイも二刀流の活躍で疑ってかかった人を黙らせた。彼らの成功が自分のことのようにうれしい」

 ケンドリックさんはイチローに会った経験がある。「2度うちの博物館に来てくれた。彼はバック・オニール(元ニグロ・リーグの選手、監督。2006年に94歳で没)と良い関係で、オニールが亡くなった翌年に、私と博物館で会いたいと。それが彼にとって2度目だったのだが、こちらもいろいろと準備をしてアーカイブスも見てもらった。1927年、ニグロ・リーグの混成チーム、フィラデルフィア・ロイヤルジャイアンツが日本でプレー、そのことを報じた当時の日本の雑誌がアーカイブスにあって、イチローは笑顔で表紙の漢字の意味を教えてくれた」と振り返る。

 雑誌は「野球界」だった。その上で大谷については、ニグロ・リーグの二刀流の歴史に再びスポットを当ててくれたと感謝した。「彼のおかげで、アメリカの人たちが往年の二刀流選手について話している。エースで主砲だったブレット・ローガン、ダブルデューティ(一人二役)とあだ名がついたテッド・ラドクリフなど。二刀流大谷を比較するなら、一番良い対象はベーブ・ルースではなくローガンなんだ」と主張する。

 ローガンは22年に15勝15本塁打、24年は18勝、打率は.386だった。良く知られているようにルースの二刀流は投手から打者への移行期の産物。だがニグロ・リーグでは必然だった。

「メジャーのように4、5人の先発ローテを組む余裕がなく、ベンチ入りの選手の数も限られていた。複数のポジションをこなすのが当たり前。結果三拍子そろった優秀なアスリートぞろいだった」

 加えて試合数も多い。

「例えばカンザスシティ・モナークスがミズーリ州の反対側のセントルイスで公式戦を行うとき、その途中で5つくらいの街に立ち寄ってエキシビションを行った。そういう試合は記録にはカウントされていない。だから年間の試合数は200にも及んだと思う」

 ラドクリフは32年ヤンキー・スタジアムでのダブルヘッダーで、1試合目が捕手でペイジの球を受け、2試合目は投手で完投したそうだ。そんな信じられないことが記録として残っている。大谷によって掘り返され、今、精彩を放つニグロ・リーグの歴史がとても興味深いのである。

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング