4年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 突然の失踪
今回は『1973年10月1日号』。定価は100円。
「ぺピトーンが行方をくらましました。おそらく帰国したと思われます」
9月12日の大洋戦の前、神宮のクラブハウスで沈痛な表情をしたヤクルト・内藤常務が記者団に切り出した。
「本人に話し合いに応じる姿勢が見えません。どこへいったのか追及しません。今後のペピトーンの処置については、コミッショナーに相談してその裁断を仰ぎたい」
現役大リーガーとして鳴り物入りで来日以来、奇行とわがままで話題をさらい続けたぺピトーン旋風もついに閉幕を迎えたのか……。
球団が初めてペピトーンから「帰国したい」という希望を聞いたのは、前日11日である。
その言い分、「8月20日から右足アキレス腱を痛めて治療中だけど、なかなかよくならない。ニューヨークのかかりつけの医者に診てもらいたいから」というもの。
しかし、この日は折悪く松園オーナー、佐藤球団社長も岩手県の盛岡に出張中だったので、内藤常務と徳永代表が変わって応対。そのとき「14日には2人が帰ってくるからそのときにあらためて話し合おう」と返答した。
ところが、その翌日の12日、ペピトーンは「とても14日まで待てない」とわめき出ながら、午前11時に東京新橋の球団事務所に乗り込んだ。
そこで「俺は帰るから残りの参加報酬と飛行機代をくれ」と言い出し、そこから3時間の押し問答の挙句、「ではサヨウナラ。俺は今から帰る」と球団事務所から羽田空港に直行。16時30分発の日航便でさっさと消えてしまった。
ペピトーンの
ヤンキース時代の先輩で、来日後、いろいろ面倒を見てきた大洋のボイヤーは、「ずいぶん前から帰国したがっていた。いろいろそのための準備もしていたし、帰るといって家を出たんだから本当に帰ったんだろう」と話していた。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM