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プロ野球はみだし録

「打てる気がしなかった」とリー。「選手寿命が延びた」と感謝した(?)永射保【プロ野球はみだし録】

 

通算111打数17安打、2本塁打、打率.153


左打者キラーとして活躍した永射[写真は西武時代]


 この連載で2度にわたって紹介したロッテのリー兄弟。外見も似ていたが、兄のレロンが左打者、弟のレオンが右打者だ。ただ、レロンは投げるのは右で、メジャーではスイッチヒッター。そんなレロンが2度だけ、日本でも右打席に入っている。相手の投手は永射保だ。

 永射は1972年に広島へ入団した左腕。2年目のオフにはサイドスローに挑戦したが、すぐに太平洋へ移籍となる。その太平洋がクラウンとなった77年にレロンが来日。永射はレロンとの初めての対決で、わざとヒジにぶつけて体を引かせたという。それで体が引いてしまうようになったのか、レロンは永射の攻略に苦しみ続ける。来日1年目から34本塁打で本塁打王に輝いたレロンは、そのうち1本は永射からのものだったが、永射とは18打数2安打で、喫したのは12三振。その後も10年間、レロンは2ケタ本塁打を続けたものの、永射からの本塁打はピタリとストップ。対決がなかったわけではない。初対決のトラウマがあったのかもしれないが、「左のサイドスローで、まったく打てる気がしなかった」とレロン。背中からストライクゾーンに食い込む永射のカーブが打てなかったのだ。

 永射はクラウンが西武となった79年からリーグ最多登板。ピンチの場面で左の強打者に打席が回ると、永射の出番。ワンポイントリリーフが多い印象だが、84年にはロッテに“奇襲先発”をしたこともあった。レロンが右打席に入ったのは、このときのことだ。ただ、84年には7年ぶりの本塁打もあり、普段は黙々とベースを回るレロンもジャンプしながら喜びを爆発させている。だが、翌85年は10打数で安打はゼロ。通算対戦成績は111打数17安打、2本塁打、打率.153だった。

 永射は87年に大洋へ移籍して、通算500試合登板に到達、記念パーティーにはレロンも招待された。「リーさんのおかげで選手寿命が延びた」と永射が言えば、「私のために、あなたの野球人生はあった」とレロン。その87年は永射のいないパ・リーグだったが、レロンは初めて2ケタ本塁打、打率3割に届かず。そしてオフに退団、帰国している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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