4年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 ターゲットは実弟・留広
今回は『1973年10月8日号』。定価は130円。
前期に続き、後期優勝も絶望となっていた
ロッテでは、
金田正一監督が「来シーズンに向け、3億円の補強資金を用意した」と発言した。
とはいえ、何事も大きくふくらますカネやんだ。本当に3億円も用意できたかは分からない。
最大の焦点は日拓で72年に20勝を挙げた実弟・
金田留広が獲得できるか。正一監督からすれば年が離れた弟は息子のような存在でもある。シーズン中、対戦のたびに、
「ワシ、チームには勝ってもらいたいし、弟にもいいピッチングをしてほしい。複雑な気持ちやで」
と真顔でこぼし、留広も前期中、「兄のいるチームには投げたくない。セにでもトレードしてくれないかな」と発言し、謹慎処分になったこともある。
しかも、この年は、まだ7勝しかしておらず(16敗)、さらに故障で離脱中。
「自分の手でもう一度20勝投手にしてやりたいんや。そうしないと、このままダメになるかもしれん」(金田監督)
水面下では親交のある日拓・西村昭孝オーナーに直接トレードを申し込んでいるが、なかなかうんと言ってもらえなかったようだ。
金田監督は翌年の優勝に向け、「成田(
成田文男)、木樽(
木樽正明)、山崎(
山崎裕之)、有藤(
有藤通世)、弘田(
弘田澄男)以外はトレード要員や」と宣言。9月21日のスポーツ紙にはウワサとしつつ
池辺巌と
中日の
渋谷幸春のトレード記事が出て、同時に池辺が二軍落ちした。
さらに9月18日、松井球団社長が「5年先を目標に横浜球場に本拠地を移す」と発言したと報じるスポーツ紙があった。しかし横浜球場はすでに大洋の本拠地となることで内々に進み、大洋は改装資金の一部を負担も決まっていた。
当時のロッテには身売りのウワサが絶えず、「長期的経営をする」というアピールもあったのだろうが、準本拠地となっている仙台の人たちには面白い話とは言えなかっただろう。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM