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プロ野球回顧録

視聴率急上昇…長嶋監督も「幸運な何かを感じる」と称賛した巨人・松井秀喜の一軍デビュー【プロ野球回顧録】

 

1993年ドラフト1位で巨人に入団した松井秀喜。大フィーバーの中の宮崎キャンプから始まったが、ゴジラの1年目は栄光だけではなかった。オープン戦で三振の山を築き、二軍の地方遠征も経験もした。しかしながら、この男、ただでは終わらない。

急きょ決まったスタメン起用


1年目の巨人・松井


「七番、レフト、松井」

 試合前の東京ドームにウグイス嬢のアナウンスが響くと、一瞬にして客席が沸騰した。1993年5月1日、巨人対ヤクルト戦。ドームの天井に反響した大歓声は松井秀喜がグラウンドに飛び出すと一段とボリュームアップしていった。

 星稜高時代、超高校級のパワーでホームランを量産。ゴジラの異名を取った。92年秋のドラフト会議では、4球団が1位で競合し、巨人の長嶋茂雄新監督が交渉権を引き当てている。

 公式戦一軍初合流のこの日、松井はジャイアンツ寮から先輩・元木大介の車で出発し、試合開始6時間前の正午に球場入り。全体練習の前にトレーニングルームでウエート・トレーニング汗を流した。当初は代打起用の予定だったが、打撃不振が続く外野手のバーフィールドが調整不足を理由に「きょうはオフにしてくれ」と言い出し、急きょスタメン起用が決まったという。

 記念すべき第1打席は二塁ゴロだったが、5回無死二塁の第2打席では西村龍次からセンター最深部のフェンスを直撃する二塁打。公式戦初安打がタイムリーになった。勝利を飾ったあと、吉村禎章とともに上がったお立ち台では、

「すごくうれしかった。最初はスタメンも信じられませんでした。(二塁打は)完ぺきだったと思います。1日も早く試合に出たいと思っていましたし、ファームに落とされた悔しさを毎日忘れずにやってきましたから」

 と18歳は初々しくもナマイキに語った。

 長嶋茂雄監督は満面の笑顔で門出を祝う。

「あの(スタメン発表の)アナウンスからスタンドが大いに沸きましたね。以心伝心というか、スタンドからの風を受けて、それを力に変えていくのがスーパースターですね。若くていいものを持っている選手は、自信を持っているうちに使っていかないと。そういう意味では松井には、幸運な何かを感じますね」

弾丸ライナーの初本塁打


デビュー2戦目で本塁打を放った


 翌2日の同カード。3点差を追う最終回だった。前打者の駒田徳広が併殺崩れで残り、松井にこの日、4度目の打席が回る。それまでは2打数無安打1四球。マウンド上には右のサイドハンドの高津臣吾がいた。

 カウント1ストライク2ボールからの内角から真ん中寄りに流れる低めの球だった。松井のバットがうなりを上げると、ライナー性の打球がライトスタンド中段に突き刺さった。

「甘いコースだったと思います。打った瞬間、入ると思いました」

 自画自賛の一打だった。

 試合後、敵将・野村克也監督は「すごい当たりだったな。まさにゴジラ打法だな」と言った。それまでの打席は変化球を駆使し、松井を抑えてきたが、最終回のこの打席では古田敦也に対し、「内角直球で勝負」の指示を出したという。

「あそこへ投げさせてみたんや。試しにいかせてみたんだよ。3点差だからな。リードしてなきゃあんなとこ投げさせないよ」

 捕手の古田敦也は「ベースに近づいていたんで投げさせた。ファウルになるかと思ったけどね。彼はかなり打ちますよ。これから穴を探さないとね」と称賛した。

 ゴールデンウイーク中の巨人戦視聴率は、巨人のルーキー・松井秀喜が一軍に昇格した5月1日からうなぎ上りとなった。1日28.9パーセント、2日33.4パーセント、3日34.5パーセント。前年の同時期の最高は21.3パーセントというからゴジラ人気のすさまじさが分かる。

『よみがえる1990年代のプロ野球 1993年編』より

写真=BBM
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