沸き起こった大きな拍手
近江高・山田は3回途中4失点で降板。目標としていた「日本一」には、惜しくも届かなかった
■第11日(3月31日)決勝
大阪桐蔭(大阪)18−1近江(滋賀)
センバツ閉会式。近江高に準優勝旗が送られた。手にしたのは主将・
山田陽翔(3年)。甲子園のスタンドからは、優勝した大阪桐蔭高よりも、大きな拍手が沸き起こった。声を発すことは禁じられており、心の中で「お疲れ様!」が込められていたのは間違いない。
試合前、近江高の先発オーダーを見て驚いた。九番・投手に山田が記入されていた。本来の四番ではなかったが、やはり、大黒柱を抜きにしての戦いは考えられなかったのである。
近江高は開幕前日、京都国際高の出場辞退(新型コロナウイルスの集団感染)を受けて、近畿地区補欠1校として繰り上げ出場が決定。急な対応にも、しっかりと準備し、4試合を勝ち上がり、滋賀勢初の決勝進出を決めた。日ごろから高い意識で取り組んできた成果だ。
原動力となったのは山田。1回戦から4試合連続完投。浦和学院高との準決勝では死球を左足に受けながらも、続投し、11回を投げ切った。試合後に打撲と診断。決勝は当日の様子を見て決めるとあったが、主将である以上、登板回避の四文字はなかったのである。エースとして、引き下がるわけにはいかなかった。
球数制限の壁
しかし、山田には一つの壁が存在していた。
「1週間500球以内」の球数制限により、大阪桐蔭高との決勝で投げられるのは116球だった。
西谷浩一監督は言った。
「山田君が万全な状態ではない中でのゲーム。苦しい中でも、魂を込めて投げていた。その気持ちに負けないようにしよう、と」
立ち上がりから強力打線が襲いかかった。山田は3回途中4失点で降板。116球の上限を迎えるまでもなく、45球で交代となった。通常であれば、外野手として残るが、山田はベンチに下がった。この日の左足のコンディションで、守るのは難しかった。時折、引きずるような仕草も見せ、投げるだけで精いっぱいだったのだ。
「無心の球を無我の境地で追い続ける」
今大会、山田が投じたのは594球。日本高野連・寶馨会長は開会式と閉会式で、出場選手に対してこうメッセージを発信していた。
「無心の球を無我の境地で追い続けることこそ、高校野球の生命(いのち)である」
山田はこの言葉を体現した。必死に頑張る姿は、多くの人を元気づけたことは間違いない。つらいことがあっても、前を向く原動力となる。高校野球には、それだけの力があるのだ。
閉会式後。大阪桐蔭高に続き、近江高の記念撮影が行われた。最後までスタンドに残った観衆は、近江高の集合写真が終わると拍手。15時42分。近江高の最後の一人が引き揚げるまで、惜しみない拍手が送られた。2022年春、山田の快投はセンバツの歴史の1ページにしっかりと記された。
写真=田中慎一郎