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60歳で縁あって高校野球の世界へ。「先輩後輩対決」で敗戦も豊南高が早実相手に見せた意地

 

「ありがたい存在です」。後輩に感謝の言葉


豊南高・弓田鋭彦監督は早実出身。東京大会2回戦では、公式戦で初めて母校と対戦した


「先輩後輩対決」が実現した。2019年秋から豊南高を率いる弓田鋭彦監督は早実出身。東京大会2回戦(4月8日)で、母校と公式戦で初めて対戦した。早実を指揮するのは、同校野球部、早大で2学年下だった和泉実監督。弓田監督は感謝の言葉を口にする。

「3年前に就任したときは、高校野球のことは何も分かりませんでした。誤って、選手交代も私がベンチから出て行ったり……(苦笑)。何か困ったことがあれば、いつも和泉に聞いています。本当に、ありがたい存在です」

 早実では右のアンダースローとして、1977年春夏の甲子園8強進出。早大、日本石油(現ENEOS)を通じて投手として活躍した。現役引退後はマネジャー、副部長としてチーム強化の役割を担った。採用部門においては豊富な人脈を存分に生かし、有力選手を入社させ、黄金時代の礎を築いた功労者であった。

 60歳の節目、縁あって、高校野球の世界に飛び込んだ。早実・和泉監督は「アマチュア野球に貢献された方が、こうして現場で指導するのは良いこと。老体にムチ打って頑張っており、何かお手伝いできれば」と、先輩からの依頼に対して協力を惜しまない。弓田監督は「(現役時代から)一番、仲の良い後輩だった。早大時代はブルペン捕手として、いつも和泉監督にボールを受けてもらっていました」と懐かしそうに語る。早実とはたびたび練習試合を組んでもらい、今回の公式戦は「恩返しの場」であった。もちろん、プレーボールがかかれば勝負の世界である。豊南高は7対11で敗退した。

「勝ちには行きましたが、甘くなかったです。ここ一番の集中力が違う」(弓田監督)

 見せ場はつくった。3対10で迎えた7回表。この攻撃で無得点だと7回コールド(7点差)が成立するところだったが、二死満塁から主将・溝口公啓(3年)が左前打。相手の守備も乱れ、計3点を返し、意地を見せている。

「一昨年夏、昨夏もコールド敗退。今までならば、そのまま終わっていたところで、3年生が奮起してくれました。成長した部分です」(弓田監督)

 和泉監督は試合後、こう語った。

「年々、弓田イズムが浸透してきている。しつこい、組織力。良いチームで、見習うことが多かったです。ウチとしても、こういう苦しいゲームが、次につながると信じています」

 豊南高は1981年夏の東東京大会で決勝に進出したことがある(優勝は荒木大輔氏が2年生エースだった早実)。弓田監督は言う。

「シード権を取りたいところでしたが……。夏はベスト8を目指して頑張っていきます」

 信頼を置く後輩の力を借り、今回は母校から多くを学んだ。6対11で迎えた9回表。一塁側の豊南高ベンチは、メンバー全員があきらめていなかった。追いつくことはできなかったが、1点を挙げた最後の粘りは間違いなく、夏に生かされるはずだ。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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