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プロ野球はみだし録

「もしかしたら巨人に入れるかもしれないと…」1978年のドラフト騒動、江川卓の述懐【プロ野球はみだし録】

 

「巨人でなければ拒否、浪人」の原点?


79年に阪神から巨人へ入団した江川[左]


 それまで指名の順位をクジで決めていたものを、入札制に切り替えた1978年のドラフト会議。南海(現在のソフトバンク)、阪神、ロッテ、近鉄の1位が競合したのが江川卓だった。だが、その前日に巨人は、手続きのために設けられていた予備日のごとき1日、いわゆる“空白の1日”に江川と契約したと発表。それを無効とされた巨人は会議に不在だった。

 以降、この問題の決着までは、プロ野球の出来事には違いないが、なにやら政治の薄暗い話をしているようになってしまう。実際に前年には政治家が圧力ともとれる発言をしていたことも、この騒動に暗い印象を与えている。結局、コミッショナーによる「ただちに巨人は江川を解き離し、江川は速やかに阪神の交渉を受けるべし。阪神は江川を入団させた後に、キャンプまでに江川を巨人へトレードで解決したい」という“強い要望”が出たことで、そのとおりに決着した。もちろん強い非難が巻き起こり、それは巨人だけでなく、江川にも向けられた。

 2002年のベースボールマガジン秋季号に、引退してからの江川の述懐があるので抜粋、要約してみる。その“空白の1日”を前に、江川はロサンゼルスにいたという。「あのとき、ロスに電話が入ったんです。もしかしたら巨人に入れるかもしれない、と。すぐ帰れということで飛行機に飛び乗って10時間、空港に着いて、そのまま車で……。で、協約によると、『君と契約ができる1日がある』と。僕も考えつく限り質問しましたよ、いろいろね。で、考える時間を与えられて。そう、4、5時間かな。僕の心の中で『大丈夫、いけるかもしれない』と思ったのは……。だから、あんな騒ぎになるとは思ってもみなかった。あのとき僕も23歳でしょ。ま、そういうことは分かってください」……。当時、騒動の渦中にいた江川が、夢に近づいているはずが、常に困惑したような表情だったのも事実だ。

 どうあれ、その後のドラフトでも「巨人でなければ拒否して浪人」という若者が、21世紀に入ってからも続いている。これも江川が巨人のエースとして成功したからであることも間違いないだろう。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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