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プロ野球はみだし録

「分配ドラフト」で始まった楽天。エースの岩隈久志はトレードを経て“移籍”【プロ野球はみだし録】

 

中日からは関川、小山らが加入


楽天1年目、2005年の岩隈


 楽天は球界再編の嵐が吹き荒れた2004年に誕生。現在の12球団で、圧倒的に新しいチームだ。2リーグ制となった1950年こそ新しい球団が次々に誕生したが、その後は54年に参加した高橋(3年で大映と合併する形で消滅)と楽天の2球団のみ。高橋の誕生にあたっては他のパ・リーグ球団が全面的に協力して22選手が移籍したが、楽天のときは近鉄がオリックスに合併されて消滅しており、とはいえ2球団の合併でもあり、そのまま近鉄から楽天へスライドするというわけにもいかない。オリックスと近鉄の選手をオリックスと楽天に振り分ける、いわゆる「分配ドラフト」が行われた。

 この分配ドラフト以外でも中日から来た外野手の関川浩一や投手の小山伸一郎ら、オリックスで分配ドラフトにかからず自由契約となった山崎武司らが主力となったが、分配ドラフトでオリックス移籍が決まったにもかかわらず、これを拒否して最終的に楽天へ移籍してきたのが岩隈久志だ。岩隈はプロ3年目の2002年にブレーク、激動の04年には開幕12連勝を含む15勝で最多勝に輝いた近鉄のエース。合併を経てオリックスにプロテクトされたが、最終的には金銭トレードの形で楽天への移籍となった。

 岩隈は肩痛もあって楽天1年目は9勝、2年目は二段モーションの厳格化でフォームを崩して故障を招き1勝、3年目も5勝と不本意な結果に終わったが、08年に復活。まだ戦力が整っていない楽天で21勝、防御率1.87の成績を残して最多勝、最優秀防御率、チームが5位にもかかわらずMVPに選ばれる快挙を成し遂げている。続く09年に楽天は岩隈の活躍もあって初のAクラス進出。翌10年オフに岩隈はポスティングでアスレチックスに入札されるも交渉が成立せず、その翌11年オフにFAでマリナーズへ移籍していった。

 ちなみに、楽天で最初の交換トレードは1年目のオフを待たず、そのシーズン中。6月10日、近鉄から分配ドラフトで来ていた前田忠節との交換で沖原佳典阪神から獲得したものだ。ともに内野手というトレードで、沖原は渋いプレーでチームを支える存在となっている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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