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『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編

キューバ出身の盗塁王、阪急・バルボンのいとこが、流浪のボクサーとして来日!/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編

 

 1月30日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第1弾、1958年編が発売される。その中の記事を時々掲載します。

『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編表紙


姉の訃報にがっかり


 プロ野球の歴史を1年1冊で振り返る「よみがえるプロ野球シリーズ」。これまで3年間にわたり、1980年代、90年代、70年代をエクストラを含めれば、36冊で振り返ってきたが、2023年の第4シリーズでは、1958年から69年までの12年間を振り返っていく。

 資料が少ない時代であり、これまでより多少制作時間が必要になるため、今回は2カ月に1冊で2024年完結の予定とさせていただくことにした。

 今回は1958年編から「阪急のチーム情報ページ」の記事をピックアップし、加筆して掲載する。

「キューバに帰りたい」が口癖だったロベルト・バルボン内野手。キューバ出身で米マイナーを経て1955年に阪急入り。58年は初めて盗塁王に輝いたシーズンでもある。そのバルボンが、いとこでボクサーのマヌエル・アルメンテロスの来日に大喜び。久びさの再会で心ゆくまで語りあった。以下は休刊となった『ボクシング・マガジン』関係者からアルメンテロスの情報を聞いたもの。

 マヌエル・アルメンテロスは日本では伝説となっている流浪のバンタム級ボクサーです。キューバからメキシコに移り住み、そこで世界的な選手になりました。今に残る伝説によると、マネジャーもつけず、頼まれれば、試合の3日までもリングに上がるのをOKしたとも言われます。

 日本にはフィリピン転戦後の昭和33年にふらりと立ち寄り、空港から知人に電話して「試合に出れないか」と売り込んだのだそうです。強打者として売り出し中だった稲垣健治、技巧派として知られた日本チャンピオンの石橋広次を圧倒的なノックアウトに破り、タイに去って行きました。

 1980年代にボクシング・マガジンでも記事にしたことがあり(メキシコ通信員が本人にもインタビューしました)、戦慄のKOパンチャーだと言うと、メキシコの古い関係者はゲラゲラと笑っていたそうです。ダーティーなテクニックも上手に使った技巧派だったようですね。

 自ら選んだのか、あるいはメキシコではよそ者で、そういうキャリアを選ばざるを得なかったからか、結局は世界タイトルに挑戦さえできませんでした。

 アルメンテロスの勝利を受け、「強いね、強いね」を連発していたバルボンだったが、あまり元気がない。

 実は、彼からキューバにいる姉が亡くなったという知らせを聞いたのだという。「3年も顔を見てないから、姉さんもきっと寂しかったね。僕、今年、キューバに帰りたい」と話した。オフ、バルボンは久しぶりに帰国。そのさなかにキューバ革命があった。実家が街から離れていたため、被害はなかったようだが、以後、キューバとアメリカの国交断絶もあって、長い間、キューバ帰国はままならなかった。
週刊ベースボール編集部

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