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プロ野球もしもオーダー

バースは「なんで、あんな選手を連れてきたんだ」…そのホーナーと打線を組んだら?【プロ野球もしもオーダー】

 

バース、掛布が去った1988年の阪神


1987年にも37本塁打を放っていたバース


 前回は1987年のシーズン途中に来日して旋風を巻き起こしながらもオフに退団したヤクルトボブ・ホーナーが翌88年に巨人へ移籍した場合を考察したが、もし時代が異なり、ホーナーがプロ野球の中で移籍していたら、その新天地は巨人とは限らないだろう。来日したばかりのホーナーのインパクトが強烈だった最大の要因は、93試合で31本塁打ということ以上に、デビューの試合で本塁打、次の試合では3打数連続本塁打という、いきなりのカウンターパンチだったような気がする。

 このとき、「なんで、あんな選手を連れてきたんだ」と絶句したのが、このカウンターパンチを食らった阪神で一塁を守っていたランディ・バースだ。バースは85年から2年連続の三冠王、当時のプロ野球で他の追随を許さない助っ人の長距離砲。とはいえ、メジャーの実績ではホーナーに遠く及ばず、そのホーナーはメジャーの貫録を遺憾なく発揮した形だった。

 とはいえ、当時のプロ野球ファンにとって、バースも日本一イヤーの85年から2年間の活躍で、ホーナーに負けないインパクトを残した助っ人だ。もし阪神でバースとホーナーの助っ人クリーンアップが実現したら、その後の暗黒期も変わっていたかもしれない。88年はバースがシーズン途中に退団、オフに掛布雅之が現役を引退したシーズン。87年オフにヤクルトを退団したホーナーが阪神へ移籍して、バースの退団もなかったとしたら、どうなっていただろうか。

 今回は、ヤクルト87年のベストオーダーにおけるホーナーの打順と守備位置を、そのまま阪神88年のベストオーダーにスライド。加えて、バースをトレードマークともいえそうな「三番・一塁」に固定して、あとは機械的にホーナーと同じ三塁手を外して、三番と四番にいる選手の打順を繰り上げ、または繰り下げてみると、以下のラインアップとなった。

1(中)大野久
2(遊)和田豊
3(一)バース
4(三)ホーナー
5(二)岡田彰布
6(右)真弓明信
7(左)中野佐資
8(捕)木戸克彦
9(投)キーオ

実際のベストオーダーは?


1988年限りで現役を退くことになる掛布


 ホーナーに弾き出される形となったのはラストイヤーの掛布。ただ、実際は腰痛の悪化など満身創痍で、シーズン途中に引退を表明、67試合の出場にとどまっていた。やはりトレードマークといえる「四番・三塁」ではなく、打順も三番。そこにバースが入り、四番のホーナーと打順で並んだ。前年のバースは本塁打こそ減らしていたものの、打率.320と巧打は健在。故障に苦しむ掛布の穴を埋めて余りあるクリーンアップになりそうだ。

 実際の88年、掛布に代わって四番を打っていたのが現在の監督でもある岡田彰布で、ホーナーの加入で85年と同じ五番打者に。同じく85年は一番だった真弓明信が六番にいる。岡田は88年も23本塁打を放っており、真弓も17本塁打で、85年ほどの勢いはないかもしれないが、それでも空中戦に期待したくなる打線だ。岡田や真弓と同じく、のちに監督となった和田豊が頭角を現したシーズンでもある。

 ただ、問題になってくるのが外国人枠だ。当時は一軍に登録できる外国人選手は2人まで。エースは助っ人のマット・キーオで、チーム最多の12勝を挙げている。打線の失速だけでなく、投手陣が踏ん張れなかったことも、2年連続で最下位に終わった一因だった。外国人枠も無視してしまえば簡単なのだが、バースもホーナーも前年までと同様の結果を残したら、キーオが二軍に甘んじることになる。ちなみに実際の阪神はリーグ優勝の中日に29.5ゲーム差、5位のヤクルトとも7.5ゲーム差。“ダメ虎”と言われ始めた時期だが、そんな揶揄を払拭できるか。では、続きはファンの皆様の夢の中で。

(阪神1988年のベストオーダー)
1(中)大野久
2(遊)和田豊
3(三)掛布雅之
4(二)岡田彰布
5(一)金森永時
6(右)真弓明信
7(左)中野佐資
8(捕)木戸克彦
9(投)キーオ

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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