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ホークス球団創設85周年

大道典良が語る2003年ダイハード打線の破壊力による4年ぶりの日本一「この伝統がすごいんです」/ホークス球団創設85周年【第3回】

 

2023年、ホークスは球団創設85周年とドーム開業30周年のダブルアニバーサリーイヤーを迎えた。ここでは「あの時のホークス、あの時のドーム」を振り返り、過去から未来へと受け継がれるホークスの歴史を紹介し、未来につながる野球の魅力を発信していく。第3回は1987年ドラフト4位で南海(現ソフトバンク)に入団し、ダイエー、ソフトバンク、巨人を通じて23年間41歳までプレー、2003年には3年ぶりのリーグ優勝、4年ぶりの日本一に貢献した大道典良氏(現・3軍打撃コーチ)に話を聞いた。

記録にも記憶にも残る超・強打線


現在もプロ野球記録として君臨するチーム打率2割9分7厘。“当事者”の一人でもある大道でさえ驚きの声を上げた


 ダイエーが、ソフトバンクに球団を譲渡する2年前、ダイエーホークスとして最後の日本一に輝いた2003年。今から遡ること20年前に打ち立てたその圧倒的な数字に、現在ソフトバンク3軍打撃コーチを務める大道典良は「あらためてこの数字を出されてビックリしました。凄いとしか言いようがないですね。今、打撃コーチをしていますけど、当時のコーチの立場だったらウハウハでしょうね。.297でしょ? もう左うちわじゃないですか。その時は現役だったんで打ってるなというのはあったんですけど、そんなに打ってるとは思わなかったですね」。チーム打率2割9分7厘。十年一昔といわれるのだから、それこそ“ふた昔”の2003年に打ち立てたこのハイアベレージは、依然としてプロ野球記録として君臨している。

 その破壊力を象徴するネーミングが「ダイハード打線」――。頑強に抵抗して、最後の最後まで屈しない。ハリウッドの名優、ブルース・ウィルス扮するニューヨーク市警の刑事がテロリスト集団と対峙する激しいアクション映画の題名から一気に世間に広まった“不屈”のイメージは、2003年のホークス打線を表現するのに、まさしくぴったりのフレーズでもあった。間違いなく、記録にも記憶にも残る“超・強打線”だろう。そのオーダーを、改めて列挙してみる。

 1番 中堅 村松有人
 2番 三塁 川崎宗則
 3番 二塁 井口資仁
 4番 一塁 松中信彦
 5番 捕手 城島健司
 6番 左翼 ペドロ・バルデス
 7番 DH 大道典良(フリオ・ズレータ)
 8番 右翼 柴原洋
 9番 遊撃 鳥越裕介

 一つ一つの記録を分析してみると、その凄まじさがよく分かる。まず、走者が本塁に生還する「得点」が822点。その年シーズン140試合制だったから1試合平均だと約5.9得点。得点でリーグ2位だった近鉄が718得点、1試合平均約5.1得点も、さすがの「いてまえ打線」だが、1試合平均でも近鉄を大きく上回るこの記録は20年後の今もパ・リーグ記録として燦然と輝いている。だから必然的に「打点」も高くなる。チーム打点794も現在のパ・リーグ記録だ。その年4番の松中信彦が123打点でタイトルを獲得し、城島健司119、井口資仁109、ペドロ・バルデス104というプロ野球史上初の「100打点カルテット」も誕生した。

 ちなみに、2022年のパ打点王は90打点の西武山川穂高だったから、4人ともその数字を上回っているどころか、両リーグを通しても100打点を超えていたのは打撃3冠王に輝いたヤクルト村上宗隆の134打点だけ。井口、松中、城島、バルデスで担った“中軸4人組”の存在感たるや「それはもうピッチャーがかわいそう」という大道の表現にもう頷くしかない。

 チームの総安打数「1461」も今なおプロ野球記録だ。さらに数字の羅列になってしまうが、もう1つ注目すべき記録をご紹介しておきたい。大道が「理想の1、2、3番でしたよね」と称した1番・村松、2番・川崎、3番・井口の「盗塁数」だ。1996年に58盗塁でタイトルを獲得した村松は、キャリアハイとなる打率3割2分4厘をマークしパ・リーグ8位で32盗塁。2番を主に務めたのが当時4年目の川崎だったが、それまでの3年間で1軍出場が37試合と、決して名の知れた存在ではなかった若手の一人だったが、その俊足巧打ぶりが着目され、小久保裕紀が右膝の大怪我でシーズンを完全に棒に振ったその穴を埋めるべく三塁で起用されるようになると、一気にレギュラーポジションをつかみ30 盗塁をマークした。そして井口はチームトップとなる打率3割4分でパ・リーグ4位、本塁打27、打点109の打力に加えて42盗塁で2年ぶり2回目の盗塁王に輝いた。この3人で計104 盗塁、チーム盗塁数も147と同2位の日本ハムの90を大きく上回った。打てて、走れる、長打力と機動力の融合は、まさに敵なしだ。

「打線が、ホントに線になっているんですね。途切れていない、みんなが繋がっていくというんですかね。今、改めていい打線だったと思いますね。1、2、3番の出塁率が高い、打率も高い、もちろん走れる、ホームに還って来る能力もある、なおかつ長打が打てる3番打者。4番、5番打者に対する配球も、3番にある程度長打も出て走れる選手がいると配球も変わって来るんですよね。井口が塁にいることで(盗塁阻止のために)真っすぐ系が多くなるんで、松中も城島も(狙い球が)絞りやすくなったと思いますよ。プレッシャーを投手に与えられるんで、真っすぐでいって松中にドカンといかれることもあれば城島もそういう系がすごく強い。バッティングコーチからすればこの打線はいいですね」だから、キーマンは「井口でしょうね」と大道は強調する。

「柳田(悠岐)が3番を打ったときと一緒。走者を還せる、走れる、何でもできる。塁に出て走れる3番バッターです。今やったら僕も(井口を)3番にしますね。ああいう3番がいると大きいですね。1番と2番が出てゲッツー崩れでも1、3塁になって井口がまた走ってくれるということでホントに理想的ですね」

 その“不屈の打線”で、大道は主に「7番」を務めていた。

「そのメンバーを聞けば7番でも仕方ない。そんなもんでしょうね。今、バッティングコーチですけど、大道7番くらいでしょうね。率直な意見です。そのメンバーではやっぱりなかなか入れないですよ」

 大笑いしながら謙遜するが、この“渋い職人肌”の存在感もこの打線には欠かせなかった。2003年途中に加入したフリオ・ズレータは、ホームランを打った後に出身地のパナマをもじり「パナマ運河!」と叫ぶパフォーマンスで人気者となったが、このズレータと大道を相手投手との相性や調子で併用する形だった。実は2003年、大道が51打点、ズレータが43打点。つまり2人合わせると7番打者の打点が「94」になり、昨季のパ打点王・山川よりも上で、ひょっとすると大道一人を使い続けていれば“100打点クインテット”が誕生していたかもしれない。

大道に衝撃を与えた4人の存在


大道の最大の特色といえば、拳1個分ほどバットを短く持ち右方向へと鮮やかに流し打つ「巧打」だった


 1987年、前身の南海にとって最後のドラフト会議となった1987年の4位指名で三重・明野高から入団した外野手は「僕も一応長打力に自信があってそれが売りだったんです」と笑う。巨人に移籍後の2008年からは南海を経験した唯一の現役選手として“最後の南海戦士”と呼ばれた大道は20年連続Bクラスだった「弱いホークス」を肌感覚で知っている。

「BクラスでもダントツのBクラスですからね。優勝って、その『優』っていう漢字、どうやって書くんだっけ? くらいわかりませんでしたからね。優勝なんてとてもじゃない。今みたいに常勝じゃない。勝つ喜びなんてそんなのも全然。ホント試合してはい負けました、はい一杯飲みにいきましょうか。そんな世界ですから。ではまた明日明日、その繰り返しでしたよね」

 その大道に衝撃を与えた存在が「あの4人でしたね」。小久保裕紀(1993年ドラフト2位)、城島健司(1994年同1位)、井口資仁(1996年同1位)、松中信彦(1996年同2位)。後輩の4人がいずれも入団した直後のフリーバッティングを見て「あ、これ、ちょっとかなわないなと思いました」という。

「鳴り物入りで入って来て騒がれた選手のキャンプ初日ってフリーバッティングをみんな見るんです。で、こんなもんかみたいになるんです。外国人とか日本人でも。あ、これなら俺、大丈夫やなとか、そういうの野球選手はすぐわかるんですよ。でもこの4人に関してはちょっと大丈夫じゃなかったですね。僕も結構飛ばしていたんですけど飛ばす打球の質が違うんです」

 こいつらには自分の力は及ばない。その悔しさはもちろんある。しかし真の戦いはまさにそこから始まる。大道は自らの生きる道をひたすら探った。

「長打力は負けるけど勝負強さ。そこしかないんです。そういうところにかける“いやらしさ”、ホークスにないいやらしいタイプ。打線の中でそういう選手がいるとピリッと引き締まるというんですかね」

 だから一発は捨てた。

「最初、指1本くらいだったんです。それが徐々に、徐々に、徐々に、徐々にということなんです」

 確実性を上げる、そのためにバットを短く持った。それこそグリップエンドがお腹につきそうになるくらいだった。

「一番の欠点は変化球に弱かったこと。僕は特に外角のスライダー。自分でもそう感じていたしやっぱり確率なんです。今でいうリチャードみたいなもんですかね。確率という部分でね。僕はものすごく2軍では打っていたんです。でも1軍に行ったら…で。ホント今のリチャードと一緒です。結局何かといえば変化球の見極めです。それでコンパクトなスイングになって意識をレフトスタンドから右中間方向へ持って行った。じゃないとこの世界でメシも食えなくなる、何とかしなきゃいけなかったんで」

 小久保のルーキーイヤーとなる94年、実はその年を境に大道の成績が右肩上がりになっていく。96年は90試合出場で打率3割2分5厘をマーク。97年にはキャリアハイとなる130試合に出場し打率は2割9分3厘、60四球、9犠飛、9犠打、二塁打17本という“バランスのいい内容”が大道らしさでもある。

 大砲ばかりを揃えてもチームは勝てない。2番や7番でのつなぎ役もこなせば、時には中軸も打てるだけの実力を持ち、さらに選球眼がよくしぶといバッティングを見せる。大道のような選手が打線にいれば「ピリッと締まるっていうんですかね」。その役割に徹した大道は自らに課された役割を「アクセントですよね」と表現し「今で言うわかりやすくいえば『中村晃』的な感じですよ」。なるほど、とうなずける感がある。

多様なタレントが役割を果たし4年ぶりに頂点に立った


井口、城島、バルデスとともに史上初の100打点カルテットを誕生させ打点王を獲得した松中。翌年には平成唯一の三冠王に輝いた


 しかも2003年は前述したように小久保がオープン戦中に右膝靭帯断裂の大怪我を負い、シーズン中には戦列復帰をすることができなかった。さらに前年の2002年にはチームリーダーとしてその存在感を発揮し続けた秋山幸二が現役を引退していた。

「秋山さんと小久保がいなくてこれ、確かにすごいですね。もし小久保が入れば川崎は9番に入ったということでしょうね。想像しただけでえげつないですね。打順がみんな1個ずつ上がっていく。井口が2番、松中3番、小久保4番、川崎9番。これすごいことになってるんじゃないですか? しかも松中は次の年に三冠王、井口も城島もメジャーに行くし、この3人に関してはまだここから上がっていきますからね。ここからですよ。そこを勘違いしちゃダメですよ。ここからまだ強くなるんです」

 それだけの多様なタレントが2003年のホークスでそれぞれの役割をきっちりと果たし、打線として機能していたのだ。投手陣に目を移しても斉藤和巳が初の20勝を挙げエースへの道を歩み始め、ルーキーだった和田毅は14勝で新人王、2年目の杉内俊哉が10勝、寺原隼人も7勝と若き力の台頭で投打の歯車もガッチリと噛み合っていた。2位に5.5ゲーム差をつけての82勝で3年ぶりのリーグ制覇を果たすと日本シリーズでも阪神を破り4年ぶりの日本一を奪回。まさしく充実の戦力を誇っていたのだ。

本当の練習を受け継ぐホークスの“伝統のバトン”


日本シリーズで阪神を破り4年ぶりに王座を奪還した2003年。当時から現在、そしてこれから先の未来までホークスの伝統は受け継がれていく


 ただ、そこに至る道程の中で、大道は“大いなる変革”を目の当たりにし選手たちの意識の変化を感じてきたという。

「小久保と松中っていうのはそんなに器用な選手じゃないんです。ホントに練習、練習で作り上げてきた。もちろん井口も城島もやってるんだけど、彼らはまた持っている天性に素晴らしいものがありました。ホント両極端なタイプでしたね。でもやっぱり一線級の人たちは練習をやりますよ。そこが僕との差でしょうね。結局それが出て来ると思うんです。そういうのがムネ(川崎宗則)につながり、マッチ(松田宣浩=現巨人)につながってきた。どんどん順番的にですね、うまくいったと思いますよ。

 今、常勝といわれる中、僕は弱い時も知っている。その頃のダイエーだと、今思えばアーリーワーク(早朝練習)なんてなかったし、練習が終わってから特打ちをするなんてもってのほかでしたよ。キャンプでも紙に書かれたメニューで終わりでした。でも強くなってからは、練習メニューが終わってからが本当の練習だと。結局はここなんです。ここのみんなは、ホントに練習する。体力もあるし、周りの人たちは『ホークスはいい選手を獲ってるから』って言うじゃないですか。じゃないんですよ、違うんですよ。この伝統がすごいんです。現場のコーチとして、そういった意味でも、柳田とか栗原(陵矢)は頼もしいんです。伝統を受け継いでくれている。そこはホントにありがたいと思いますし、今、指導している育成の選手とかにもこういう伝統を伝えていきたいですね」

 柳田も、現在1軍監督の藤本博史が打撃コーチだった当時、宮崎キャンプの全体練習終了後にロングティーでの打撃で「100本スタンドイン」をこなすのが締めくくりだった。栗原も左膝の大怪我でシーズンを棒に振った昨季から復活、サードへのコンバートも果たして主将の柳田をサポートする「副将」としてチームを引っ張っている。そうやって、ホークスの“伝統のバトン”が受け継がれていくのだ。そして大道の誓いはホークスの「85年」という長き伝統を受け継ぐ者たちのまさしく「使命」でもある。

文=喜瀬雅則 写真=佐々木萌、BBM
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