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『よみがえる1958年─69年のプロ野球』1961年編

鉄腕時代か投手酷使時代か。規定投球回がセ・リーグ182回、パ・リーグが196回だった時代/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1961年編

 

 7月31日(予定です)、『よみがえる1958年─69年のプロ野球』第4弾、1961年編が発売される。その中の記事を時々掲載します。

『よみがえる1958年─69年のプロ野球』1961年編表紙


権藤は3試合に1回先発?


 7月末発売、1961年特集の編集作業真っ只中。

 この年、セの首位打者は巨人長嶋茂雄で.353、パは東映・張本勲で.336と高く、やや打高投低気味(修正)ながら、同時に空前の鉄腕時代としても語り継がれる。

 まずはセの新人・中日権藤博だ。1年目の投球回429回3分の1は歴代では13位ながら1950年から始まった2リーグ制では最多だ。35勝19敗、防御率1.70で最多勝、最優秀防御率を獲得している。

 同年セは130試合制だが、69試合に登板し、うち先発は44試合(完投は32)だから2試合に1試合は登板し、3試合に1試合は先発していたことになる。

 中日が巨人と優勝争いをしていたこともあるが、すさまじいとしか言いようがないペースだ。

 パでは西鉄の鉄腕・稲尾和久が401回に投げ、スタルヒン(元巨人ほか)と並ぶ史上最多タイの42勝を達成。こちらは140試合制で、78試合に投げ、先発は30試合(25完投)だった。

 稲尾も最多勝および1.69で最優秀防御率を手にしているが、この西鉄が南海に5.5ゲーム差の3位というから不思議なシーズンではある。

 当時、規定投球回はセが182回、パが196回というとんでもない時代だが、パでは53試合、241回3分の2に投げた南海・杉浦忠が9月2日に20勝を挙げるも、以後、右腕の血行障害で離脱。そのまま完全復活はなかった。

 鉄腕時代はまた、投手酷使の時代でもあった。
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