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【高校野球】花咲徳栄・小野勝利の心の支えになった言葉「あきらめたらそこで試合終了」 開会式で見られた優れた人間性

 

ネクストで終えた高校野球生活


花咲徳栄高・小野は浦和学院高との埼玉大会決勝で敗退。「四番・三塁」で先発出場も無安打に終わった[写真=福地和男]


「仲間を必ず、甲子園に連れて行きます」

 その誓いを果たすことはできなかった。自身2回目の夏の甲子園出場にあと一歩、あと1勝、届かなかった。浦和学院高との埼玉大会決勝(7月28日)、花咲徳栄高・小野勝利(3年)は高校野球生活をネクストバッターズサークルで終えた。2対7で敗退。

 昨年6月、横浜高から編入したときは「不安だった」と明かす。「正直、受け入れてもらえるのかな……と」。だが、花咲徳栄高の部員たちは快く、小野を受け入れてくれた。

「自分を仲間として認めてくれて、本当にうれしかったです」

 だからこそ、臆面もなく「大好きなんです」と言うチームメートを甲子園に連れて行きたかったのだ。小野は横浜1年夏、背番号18で甲子園の土を踏んだ。智弁学園高との2回戦で、代打で打席にも立っている(三振)。

「レギュラーとして出場したわけではなかったんですが、本当に素晴らしい場所でした」

 今夏、誓いを果たそうと、小野はバットでチームを引っ張った。岩井隆監督から任された打順は、日本ハム野村佑希ソフトバンク井上朋也も座った四番。ただ、決して自分で決めようとはせず、時に右方向へ軽打を飛ばすなど、自分の名前でもある「勝利」につながる打撃に徹した。決勝では4打数無安打と快音が聞かれなかったものの、7試合で8安打10打点と実力を存分に発揮した。

 自分で決めようとしなかった裏には、他の選手に対するリスペクトもあった。

「増田空とか田中辰空とか(いずれも3年)、徳栄は本当にいいバッターがたくさんいるので」

 自分を認めてもらったからこそ、技術面でも仲間のいいところに目を向けるようになったのだろう。

 夕食後はほぼ毎晩、小野、増田、田中の3人で室内練習場にこもった。交代で打撃投手をしながら、遅い時は10時頃まで打ち込みを続けた。

「2人からも多くのことを学ばせてもらいました」

卒業後の進路はプロ1本


 小野の加入は戦力的な部分だけでなく、多くのプラスアルファをチームにもたらした。岩井監督は大会前の取材の際、こう話していた。

「まず元気がいいんです。追い込んだ練習でも元気さを失わないから、小野の影響を受けて、全体の雰囲気も明るくなるんです。それと取り組む姿勢ですね。誰よりも真摯に野球に向き合っている。それを見て、他の選手も感化されたようで、明らかにチームが変わりました」

 埼玉県大会開会式ではこんなことがあった。小野はある選手を見つけると、走り寄って握手を求めた。

「お互い頑張ろうぜ」

 その選手、早瀬蒼将(3年)も他の学校から川越初雁高に編入したため、小野同様に1年間、公式戦に出場できなかった。

 その話を伝え聞いた早瀬の父・弘一氏はこんなふうに感じたという。

「そもそも2人はそれほど親しい間柄ではないですし、息子からすれば小野君は格上。川越初雁の選手からすると、強豪校のスターです。高校生だと、なかなか、自ら……ということはできない。小野君の人間性でしょう」

 卒業後の進路はプロ1本と決めている。父・剛氏も巨人西武でプレーした。練習試合では複数のNPB球団のスカウトが視察に訪れていたという。

 子どもの頃からのあこがれは西武・中村剛也

「地元が所沢なので、よく西武ドームに通っていて、何度も中村さんの豪快なホームランを見ました。力感がないように映るムダのないフォームで遠くへ飛ばす。理想的な打ち方だと思います」

 プロになれたとしたら、ファンに見てほしいのは、野球を楽しむ姿。

「もちろん野球は厳しいものですが、野球を始めた頃の気持ちは今も変わっていません」

 ただ、行き先が決まらず、心底好きな野球ができなくなるのでは……と思ったこともあった。そんなとき、心の支えになったのが、愛読漫画の『スラムダンク』に出てくる「あきらめたらそこで試合終了」という言葉だった。

 高校野球の終了を告げるサイレンは鳴っても、まだブザーは鳴っていない。小野の野球人生はまだこれからだ。

取材・文=上原伸一
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