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愛すべき助っ人たち

「僕は人生を懸けて中日に来た」…通算100勝100セーブを超えた唯一の“助っ投”郭源治【愛すべき助っ人たち】

 

「この人は僕の操り方がうまい(笑)」


マウンドで派手なアクションも見せるようになった


 通算200勝を超える投手は2022年シーズン終了時点で24人。一方、通算100勝100セーブを超えた投手となると、数をグンと減らして6人しかいない。セーブ制度が始まったのは1974年で、勝ち星に比べれば歴史が浅いというのもあるにはあるが、6人というのがレアなことは間違いないだろう。外国人の投手に絞ると、1人しかいない。中日郭源治だ。

 台湾の出身。最初に誘ったのはロッテだったというが、もっとも熱心だった中日に入団を決めた。兵役の影響で開幕には間に合わず、1981年の7月に来日。このとき、通訳を断っている。「僕は人生を懸けて(中日に)来たんですよ。特別扱いされたくなかった。大変だけど、それを乗り越えないとダメと思ったから」(郭)。だが、言葉の壁は想像を超えるストレスになる。3年目の83年から4年連続2ケタ勝利も、勝負どころに弱いメンタルが問題と言われたこともあった。

 転機は87年、星野仙一監督の就任だった。それまで抑えを任され、仲も良かった牛島和彦が、落合博満との交換の1人としてロッテへ移籍。星野監督に「お前しかおらん」と言われて、その後釜に指名される。「抑えには気持ちが優しすぎる」という声もあったというが、この転向が奏功した。「この人(星野監督)は僕の操り方がうまいな、と思った」と郭は笑うが、「マウンドで僕にボールを渡すときに一言、刺激のあることを言う。それで僕は燃えるんだ」とも振り返る。

 結果、郭は先発のときとは別人のように闘志をむき出しにして、2年連続で最優秀救援投手のタイトルを獲得した。圧巻は88年だ。7勝37セーブで44セーブポイントとなり、当時のプロ野球記録を更新。中日も後半の独走で6年ぶりリーグ優勝、郭がMVPに輝いている。

 その後は自身の故障やチーム事情などによって役割を変えて、96年まで16年の長きにわたって中日ひと筋でプレー。先発がメーンの91年に自己最多タイの13勝、94年には8勝ながら防御率2.45で最優秀防御率のタイトルを獲得している。ヒジ痛もあっての退団だったが、帰国してからも台湾で99年までプレーした。

写真=BBM
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