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愛すべき助っ人たち

デストラーデのプライド。「僕が五番にいたことでの彼らのメリットのほうが大きかった」【愛すべき助っ人たち】

 

“AKD砲”がいた黄金時代の頂点


1989年途中から92年、95年途中まで西武でプレーしたデストラーデ


 1980年代から90年代にかけて、長きにわたって黄金時代を謳歌した西武。そのピークはリーグ5連覇、日本シリーズ3連覇の幕が開けた1990年だっただろう。日本シリーズでは巨人を相手に無傷の4連勝で圧倒。このとき第1戦の初打席で本塁打を放ってシリーズの流れを作ったのが、“カリブの怪人”の異名もあった助っ人のオレステス・デストラーデだった。

 秋山幸二が三番、清原和博が四番を打つ“AK砲”にデストラーデが加わったのが89年6月。シーズン途中に来日して83試合で32本塁打を放ったものの、このときは前年の雪辱を期す近鉄の勢いには届かず、西武は王座を譲っている。“AKD砲”がそろった状態で開幕を迎えたのが90年だ。ともに右打者の秋山、清原の後に、スイッチヒッターのデストラーデが続く形は相手チームの脅威となった。左打席のほうが打率が高く、右打席のほうが本塁打が多い傾向はあれど、左右の両打席ともに強力な打棒を誇った。

「彼ら(秋山と清原)の後を打つ私、というよりも、五番に私がいたことでの彼らのメリットのほうが大きかったんじゃないかな。パワフルな打者の前では投手は走者を出したくないからストライクが多くなるしね」とデストラーデの回顧にはプライドがにじむ。デストラーデは90年に42本塁打、106打点で本塁打王、打点王の打撃2冠。そこから本塁打王には3年連続、打点王には2年連続で輝いている。

 ちなみに、日本シリーズの初打席本塁打も3年連続で達成。デストラーデが日本シリーズMVPに選ばれたのは90年だけだったが、91年は広島、92年はヤクルト相手に、ともに4勝3敗で西武がシリーズを制している。そのオフにデストラーデはフロリダに新設されたマーリンズに誘われて退団。その後も西武はリーグ連覇を94年までは続けたものの、日本一はヤクルト、巨人に譲っている。

 一方、マーリンズ2年目に低迷してマイナー降格か退団を迫られたデストラーデは95年に西武へ復帰。投手としてマウンドに上がるなどのファンサービスも話題になったが、故障や家庭の事情などもあって6月に退団している。

写真=BBM
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