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よみがえる1958年-69年のプロ野球

東映-阪神の日本シリーズ。流れを変えたのは寝台列車の飲み会だった?/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編

 

『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。

『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙


寒さも敵に


 今回は1962年、東映-阪神の日本シリーズ第3戦の記事をアレンジし、お届けする。

 甲子園で阪神2勝のあと、舞台を東映の本拠地・神宮に移しての一戦だ。



 東映-阪神の日本シリーズは、1、2戦は甲子園で阪神が連勝スタート。しかも、2戦目は村山実が試合終盤まで完全試合ペースで完封勝利を飾った(5対0)。

 そのあと神宮での第3戦のため、東京行きの夜行列車急行『金星』で両チーム一緒の移動となる。

 このとき大騒ぎしていたのは阪神ではなく、連敗の東映だった。酒を飲みまくって、まるで飲み屋にいるような大騒ぎをしていた。張本勲は言う。

「アンちゃんが『よし動くナイトクラブだ』と言って、あるだけのビールを持ってこさせてドンチャン騒ぎだ。さすがの水原さんもびっくしたらしいよ。こいつらバカかって」

 アンちゃんはエースの土橋正幸である。

 一度は「静かにしろ」と注意しようと思った東映・水原茂監督も、「こいつらはこのほうがいい。このクソ度胸と若さに懸けてみよう。きっと次は開き直って、いい戦いをするはずだ」と考え直した。

 かつて駒澤の暴れん坊とも言われた東映は、いわゆるイケイケチームだ。

 リーダーの毒島章一も「うちは打つときは打つけど、打たないときは打たない。だから波に乗っているときにぶつかれば怖いですよ。ほんとよく打つからね」と話していた。

 水原監督が感じたとおり、初めて日本シリーズの舞台で緊張し、おとなしくなっていたのが、連敗とこの飲み会で、うまく開き直れたのかもしれない。

 水原監督が流れを変える決断をしたのも、この列車の中だ。

 まずは捕手の安藤順三を2年目の種茂雅之に代える。安藤のリードは堅実だが、慎重になり過ぎていると思ったからだ。さらに不振の山本八郎を外し、外野にラドラを使い、1、2戦に先発しながらKOされた土橋をリリーフに回した。

 これは水原の巨人監督時代、対南海の1955年の経験から来ている。

 1勝3敗となったあとの第5戦で捕手に藤尾茂、レフトに加倉井実の20歳コンビをスタメン起用。藤尾が3打点、加倉井が1打点を挙げ、前日8回2失点ながら敗戦投手となった別所毅彦を抑えで使って9対5と勝利した。

 巨人は、そのまま3連勝で逆転日本一となる。

 迎えた16日の第3戦、対する阪神サイドには思わぬ敵があった。

 じっとしても汗ばむような暑さだった甲子園と違う、神宮の震えるような寒さだ。

 投手陣はラバーコートを着て、ベンチ中央に炭火が置かれた。右手指の腱鞘炎に苦しめられていた村山は「寒いと指がきついんですよ」とポツリつぶやいた。

 阪神の先発は渡辺省三、東映は久保田治

 阪神・藤本定義監督のプランでは6回から東映に苦手意識を植え付けている村山にリレーの予定だったが、1点を先取したあと、5回裏、渡辺が無死二、三塁とされたところで、前倒しのリリーフ登板。

 ここはピシャリと封じた村山だが、6回表、阪神が1点を追加したあと、その裏に毒島章一にライトのラッキーゾーンに打ち込むソロを浴び、さらに7回には岩下光一のタイムリーで同点とされた。結局、2対2のまま延長14回、日没引き分けとなっている。

 5回74球を投げ2失点だった村山は、「打たれたのはストレートが真ん中に行ってしまった。どうもすみません。ちょっとマウンドが低かったので。でも、グラウンドに慣れたから、あすからはお返ししますよ」ときっぱり。

 しかし、これで流れが一変。村山の調子も上がらず、阪神はそのまま4連敗を喫し、日本一は東映に輝いた。
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