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阪神戦力外の「甲子園スター」に他球団が興味 右の強打の内野手が魅力に

 

ドラフト2位で阪神入団


今年は一軍昇格を果たせずにオフに戦力外となった北條


 歓喜の輪に入れなかった。阪神が18年ぶりのV奪回を飾ったが、北條史也は一軍出場なし。来季の戦力構想から外れ、退団が決まった。

 大山悠輔近本光司木浪聖也……「94年世代」が阪神野手陣の中心になっている。この世代で高校時代に名を轟かせていたのが、藤浪晋太郎(オリオールズ)。そして、北條だった。光星学院高で3度甲子園に出場し、いずれも準優勝。頂点にはあと一歩届かなかったが、3年夏には1大会4本塁打を放つなど甲子園の大舞台で活躍する強打者として全国に名を轟かせた。

 2013年、ドラフト2位で阪神へ。1位入団の藤浪と共に将来のスター選手として将来を嘱望され、大きな輝きを放ったのが高卒4年目の16年だった。規定打席にあと5打席足りなかったが、122試合出場で打率.273、5本塁打、33打点をマーク。7月下旬以降は絶対的レギュラーだった鳥谷敬を押しのける形で、遊撃で試合に出続けていた。

二軍監督の言葉がきっかけで


 プロの世界はレギュラーを奪うこと以上に、守り続けるのが難しい。17年は83試合出場で、打率.210、3本塁打、20打点と不本意な成績に。だが、18年は開幕二軍スタートからはい上がった。6月下旬以降に一軍昇格すると、「二番・遊撃」でスタメンに定着。打撃好調の理由について、週刊ベースボールのインタビューでこう語っている。

「今は、ミス(凡打)してもすぐに切り替えるようにしたことも大きかったですね。それまでは打席でミスしても、守備でエラーしてもめちゃくちゃ引きずっていましたから。それが今年は少しマシにはなったな、と思います。そう思えるようになったのには、ファームでの矢野(矢野燿大二軍)監督のある言葉がきっかけでした。ファームで試合に出たときです。僕じゃなかったのですが、チームメートがミスをした後に、ベンチで声を出せないくらい落ち込んだんです。この試合後のミーティングで、矢野監督が『ミスなど起こったことは仕方がない。その次にどう行動するか。次を考えろ』と言われたんです。その言葉で目覚めたというか『気持ちを切り替えることも大事や』とあらためて思えましたし、なぜかすごくその言葉が僕の中に入ってきました」

「そこからです。『次に次に』と思うようになっていったのは。その言葉ですか? 二軍の公式戦が開幕してすぐくらいのことでした。そこから試合の中で、気持ちも徐々に切り替えられるようになりました」

 この年は62試合出場で打率.322、1本塁打、20打点をマーク。残念だったのは左肩の亜脱臼で9月下旬に戦線離脱したことだろう。21年に左肩を手術した。二遊間のレギュラーに返り咲けなかったが、しぶとい打撃と内野の守備でチームに必要とされることを全うしようと必死だった。ムードメーカーとしてもベンチで声を張り上げる。野球に向き合う姿勢は若手のお手本だった。

起用法の幅が広い内野手


 阪神の二遊間は中野拓夢、木浪の強固なコンビに加え、若手の小幡竜平が控えている。今年は一軍でプレーするチャンスがなかったが、他球団のスコアラーは「二遊間の層が薄いチームは多い。北條は故障に泣かされた印象が強いですが、一軍での経験値があるしまだ29歳と若い。小技を含めて状況に応じた打撃ができるし、一、三塁を守れて起用法の幅が広い選手です。獲得を検討する余地は十分にある」と評価する。

 同学年の選手たちは、成熟の時期を迎えている。大山は「不動の四番」として最高出塁率のタイトルを獲得。近本は4度目の盗塁王を獲得した。木浪も遊撃のレギュラーを再奪取し、自己最多の127試合出場で打率.267、1本塁打、41打点をマーク。同期入団の藤浪はかつてエースの階段を駆け上がり、近年は伸び悩んでいたが異国の地でセットアッパーとして輝きを取り戻した。北條は野球人生の岐路で、どのような決断を下すだろうか。

写真=BBM
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