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2023ドラフト

中日1位公表のENEOS・度会隆輝 高卒3年目の“左打ち社会人外野手”が1位指名なら史上初

 

ENEOS・度会隆輝は入社2年目の昨年、9年ぶりの優勝を遂げた都市対抗でMVPに当たる橋戸賞に加え、打撃賞、若獅子賞を受賞した。高校3年時は、指名漏れを経験。高卒3年目の外野手のドラフト指名は、過去のデータを見ると、希少価値の高い存在である。
※注:ドラフト年度は開催年度

社会人で右肩上がりの成長


ENEOS・度会は元ヤクルト度会博文を父に持つ。バットコントロールが抜群で、昨年は9年ぶりの都市対抗制覇に貢献したが、今年は2回戦で敗退した[写真=矢野寿明]


 高卒3年目のENEOS・度会隆輝(横浜高)は4月のJABA四国大会決勝(対明治安田生命)で本塁打を放ち、10大会ぶり2度目の優勝に貢献。昨年は都市対抗大会を制覇しており、度会はMVPに当たる橋戸賞をはじめ、打撃賞、若獅子賞を受賞。さらに社会人年間表彰でも最多本塁打(7)、最多打点(21)、ベストナイン(外野手)と個人タイトルを独占した。

 横浜高3年時のドラフトでは指名漏れの無念を味わったが、名将・大久保秀昭監督の指導の下、社会人で右肩上がりの成長を続けドラフト1位という夢に向かって邁進している。しかし、度会のような「社会人」の「外野手」がドラフトで指名されることは簡単なことではなく、さらにドラフトが解禁となる「高卒3年目」の条件を加えると、長いドラフトの歴史のなかでも指名されたのは14人。「左打者」だと、両打ちを含め6人にまで絞られる。

 高卒3年目の社会人外野手として唯一、1位でプロ入りしたのが佐藤直樹だ。JR西日本在籍時の2019年にソフトバンクから指名されると、2年目に一軍デビューを果たし、3年目の昨季にはプロ初安打と初本塁打を記録。今季もレギュラー獲得を目指してプレーを続けてきたが、オフに戦力外通告を受けた。

左打ちの高卒3年目外野手は日本ハム・大貝が最後


 このまま時代をさかのぼっていくと、10年には熊代聖人西武から6位で指名されている。熊代は在籍していた日産自動車が休部したため王子製紙に移籍。2チームトータルで3年間を社会人で過ごしてプロ入りした。12年と13年は守備、走塁要員として100試合以上に出場。その後もチームに欠かせないムードメーカーとして、昨季まで現役でプレー。今季からは西武二軍の外野守備・走塁コーチを務めている。

1993年日本ハム4位・大貝


 06年の大学生・社会人ドラフトで阪神から5巡目の指名を受けたのは大城祐二。10年に戦力外通告を受け、11年はソフトバンクと育成選手として契約したが、結局、一軍の出場はないまま同年オフにNPBの舞台を離れている。それから時間は少し飛んで1993年。日本ハムから4位で指名されたのが大貝恭史だ。大貝は1年目から37試合に出場し19安打で打率.275をマーク。だが、徐々に出場機会を減らし、02年に引退。ちなみに佐藤と熊代は右打者。大城はスイッチヒッターだったため、純粋な左打ちで高卒3年目の社会人外野手はこの大貝以降、30年間も現れていないことになる。

 86年、南海に3位で指名された右田雅彦は大洋、ロッテで投手として活躍した一彦の弟。1年目にプロ初安打を記録し、3年目には自己最多の61試合に出場。翌90年には自身唯一の本塁打を西崎幸広(元日本ハム)から放った。同年オフに阪神へ移籍してからは4シーズンで一軍出場は3試合に留まり、94年に引退した。

1985年ヤクルト2位・荒井


 85年は荒井幸雄がヤクルトから2位で指名される。日本石油時代は前年のロサンゼルス五輪で四番を任され、金メダル獲得に貢献し、プロ2年目の87年に打率.301をマークして新人王を獲得。その後は度々、故障に見舞われながらも栗山英樹秦真司らとレギュラー争いを繰り広げた。96年からは近鉄、98年からは横浜でプレー。晩年も代打として活躍した。鈴木貴久が近鉄に5位で指名されたのは84年。プロ3年目の87年にレギュラーの座を奪うと、21本塁打を記録。以降、4年連続で20本以上のホームランを放ち「北海の荒熊」の異名を持つ。右の大砲として15年間プレーしNPB通算では1226安打、192本塁打の成績を残した。

 81年は斉藤浩行広島から2位。南牟礼豊蔵が阪急から3位と同時に2人がドラフトされた。斉藤は「ポスト山本浩二」として期待された長距離砲。ルーキーシーズンに4本塁打を放ったが、2年目のキャンプで右目にボールを受けて視力が低下。以降、デーゲームでは好成績を残しファームでは通算161本塁打を放ったが、ナイトゲームが多い一軍では実力を発揮できなかった。南牟礼は89年に自己最多の106試合に出場。44安打、8二塁打、17打点など多くの項目で自己最高の数字を残した。91年のシーズン中に中日へ移籍し、6本塁打の活躍。インパクトのある名前にちなみ、ファンからは「トヨゾー」の愛称で親しまれた。94年に移籍した阪神でも代打として勝負強い打撃を見せている。

数々の実績を残した世界の盗塁王・福本


 春日祥之輔(79年から昭之介)は74年に太平洋から5位で指名された。5年目にようやく一軍出場を果たして初安打。81年からはロッテでプレーし、83年は自己最多の15安打を放ったが同年で現役を引退した。71年には小林浩二が大洋から3位で指名され、3年目にプロ初安打を放っている。70年に阪神からドラフト3位で指名された楠本秀雄は一軍出場が1試合のみ。プロの厚い壁に跳ね返された。69年、ロッテのドラフト6位・藤井信行は2年目に一軍デビュー。73年に太平洋へ移籍し、翌74年は3本塁打を放った。

1968年阪急7位・福本


 そして、68年に高卒3年目の社会人外野手として、初めてドラフトで指名されたのが「世界の盗塁王」こと福本豊だ。阪急から7位で指名されプロ2年目からレギュラーに定着すると、75盗塁で初の盗塁王を獲得。4年目の72年には自身初の3割超えに加え、シーズン106盗塁をマーク。当時のMLB記録をも上回る数字を残し、MVPを受賞した。翌73年は95盗塁。74年は94盗塁で、自己最高の打率.327と素晴らしい成績を収めた。

 結局、盗塁王は70年から13年連続13回で、すべて50盗塁以上。打率が3割を超えたのは7度あり、130試合フル出場は8度。その他のシーズンも欠場した試合数は少なく、その鉄人ぶりも偉大な記録を支えた。ベストナイン10回、ダイヤモンドグラブ賞12回。通算1065盗塁はNPB記録で、115三塁打に加え、299盗塁死もNPB1位の記録だ。02年には野球殿堂入りを果たした。

 現在は高校から大学を経ずに社会人へ進む選手の絶対数がそもそも少ないため、ドラフト解禁の3年目で指名される選手はかなりのレアケースと言える。度会が1位指名されたなら、高卒社会人3年目の外野手としては2人目。さらに左打ちでは史上初めての快挙となる。

取材・文=大平明 写真=BBM
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