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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!
大島康徳コラム第5回「酒、タバコ、女は5年間禁止でした」

 

1年目のキャンプ。後方でうつむいて走っている背番号40が僕です。ちょっと暗いな


タバコを吸って給料差し止めに


 侍ジャパンの選手の皆さん、お疲れ様!感動と元気をもらいました。本当にありがとう!

 球場には行けなかったけど、ドキドキハラハラしながらテレビの前で応援していました。3年後には東京オリンピックもあります。野球で日本中を元気にしましょう!僕も球界OBとして微力ながら貢献できればと思っています。

 WBCが終わったと思ったら、もう開幕です。自主トレ、キャンプ、さらにオープン戦と選手はどれだけ自分をベストの状態に近づけるかを考え、必死に取り組んできたと思いますが、技術的にベストな状態は現役時代にはありません。だって打率4割や100本塁打を打てるわけじゃないでしょ!

 そうは言っても、メンタル的には「やるだけやった」と踏ん切りがつけられるところまでは持っていかなきゃいけません。これが難しいんです。

 今年は特にWBCに選ばれた人たちが難しいと思います。WBCのような大舞台になると、燃え尽き症候群ではないけど、終わった後、目標を失い、ふっと気が抜けるんです。そこからもう一度上げていかなきゃいけないから大変です。だけど、これは悪いことではありませんよ。そのくらい集中し、必死に戦ったということですからね。

 僕が代表選手に期待するのは、WBCという厳しい場所で戦った経験をチームに伝えることです。それが結果的に日本プロ野球のレベルを上げ、ペナントレースが盛り上がることにもつながっていくと思います。

 では、時計の針を一気に戻しましょう。それも一気に50年近く!

 読んでいただければ分かりますが、いまみたいにえらそうなことを口が裂けても言えない時代です。

 前回も触れたようにプロ1年目、1969年は二軍スタート。一軍なんて夢のまた夢で、二軍の試合でも、まったく打てませんでした。

 ただ、二軍監督の本多逸郎さん(現役時代は「パラさん」の異名があった映画スター並の二枚目外野手です)は、三振しても何も言わなかった。いつも「思い切って振りなさい」だけ。前々回で触れたように、本多さんは僕をドラゴンズに推薦してくれた方でもあります。ものすごく目をかけてもらったし、よく飯にも連れていってもらいました。

 のちに聞いたことがあるんですが、本多さんは・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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