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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第121回「監督を辞めたとき、後悔が1つだけあった」

 

2002年春季キャンプの僕です。まだ、さほどストレスはたまっていません。いい笑顔です


監督生活の思い出


 前回は、僕のパ・リーグの古巣・日本ハムの話でしたので、今度はセ・リーグの古巣・中日ドラゴンズについて書いてみます。

 残念ながら、すでに優勝だけでなく、CS進出も厳しい状態にありますが、チームとしては決して悪い状況ではないと思います。投打とも戦力は整っているし、チーム力にランクをつけるならばAと言えるのではないでしょうか。

 ただし! Aの選手はいても特Aの選手がいないんですよね。それが投打ともに軸がいないということに結びつき、「ここ!」というところを守りきれなかったり、決めきれなかったりという結果につながっています。

 この状況をどう改善していくのか。選手の意識付けか? 若手の起用か? いろいろなアプローチの仕方はあるでしょうが、もっと上を狙えるチームになるために、大きな変化が必要なことは確かです。

 とはいえ、ワクワクさせる選手が増えているのも確かです。故障離脱もありましたが、今季急成長した高橋周平君もその一人です。先日、ナゴヤドームに解説の仕事で行った際には、彼とゆっくり話すこともできました。

 久しぶりに会った彼は話し方が堂々とし、人間的な成長も感じました。もちろん、プレーもそうです。これまでの迷いから抜け出し、打撃でも守備でも自信を持っているのが分かります。もともと、それだけの資質を持った選手ですし、これからもっともっと成長してくれると思います。本当に楽しみですね。

 では、今回は久びさに大島反省記、いや大島半生記です。

 あまりうれしい思い出ではないのですが、2002年、日本ハム監督を辞めたときの話です。1年目の00年は優勝争いにも加わり、3位でしたが・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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