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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第124回「WBC編1 難航した選手選考」

 

福岡ドームでの僕とイチロー[右]。彼とのエピソードについては次号でまた


突然の電話


 9月12日、いつもよりちょっとおしゃれをして東京ドームに出掛けました。今は巨人だけですが、かつては日本ハムの本拠地でもあり、僕が選手、監督として過ごした球場でもあります。札幌ドームに比べたら空席だらけで歓声もまばらでしたが、熱心に応援してくださるお客さんはたくさんいました。

 この日は、日本ハムにとって東京ドームでの今季最終戦でしたが、僕が行ったのは解説の仕事ではなく、日本ハム・田中賢介の引退“サプライズ”セレモニーのためです。

 賢介は、僕が監督として初めて臨んだドラフト会議、1999年秋に指名した選手です。2位で3球団が競合し、僕が交渉権を引き当てました。あのときのうれしさは、今も覚えています。

 試合前に花束贈呈をさせていただき、後日、日本ハム球団さんから写真も送っていただきました。いい写真です! 男前です、大島……じゃなくて、賢介が、いや賢介も、にしておきましょう。私の宝物が増えました。ありがとうございます。

 ただな、賢介。そのときも言ったが、今からだって「やめたの、や〜めた!」って言ってもいいんだぞ。もったいないよ!

 お忘れになった人もいるかもしれませんが、このコラムのメーンテーマは僕の半生記、いわば「大島康徳的大河ドラマ」でしたが、こちらはペナントレース同様、佳境に入っていきます。ただ、ドラマやペナントレースと違って、劇的な最終回があるわけではありません。僕とナオミさん、2人の息子、そして祭……。大島家の日常は、ずっと続いていきます。(ナオミさん=愛しの妻。祭=13歳トイプードル♂)

 数号前、2002年オフ、僕が日本ハム監督をやめたところまで書きました。そこからは、また解説者となったのですが、2005年某日、突然、電話が・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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