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デーブ大久保 さあ、話しましょう!

バークレオは今でも大親友です。レロン・リー氏には強烈な思い出が/デーブ大久保コラム

 

外国人は練習しないという私の固定概念を覆したリーさん。プロとしての在り方を学んだ出来事でした/写真=BBM


 今週の週べ本誌の特集は「外国人」ということらしいですね。少し前にYou Tubeのデーブ大久保チャンネルで仲の良い助っ人選手について話しました。まだ観ていない方はぜひ! ということで、そのYou Tubeでも話したバークレオから始めます。

 最初に出会ったのは、バークレオが1987年に来日したとき……ではないのです。それ以前に、私が教育リーグに行っていた85年でした。エンゼルス傘下のマイナー・チームの本拠地であるカリフォルニアのパームスプリングスという球場でした。このときは自分たちのチームの選手が少ないこともあり、私は捕手ではなくライトを守っていたんです。

 バークレオは主軸を打っていて、彼の打席のとき、私の頭の上をアッという間に越えていく、すごいホームランを打ったのです。「スゲー打者だなあ」とその記憶が鮮明に残っていました。ただ、それがバークレオだとは思いませんでしたけどね。

 そして時は過ぎ87年です。彼が西武に入団してきます。そのときもまだ、あのでっかいホームランを打った選手とバークレオが同一人物だとは思ってもいませんでしたよ。何せあんなすごい打者はとっくにメジャー・リーガーになっていると思っていたほどですから。

 当時一緒に教育リーグに引率で行かれていた和田(和田博実)さんが私に「あのときホームラン打った打者だよ」と教えてくれました。そこで話しかけてみると、彼も私のことを覚えていて……多分太ったアジア人がいたという感じでしょうが(笑)。「あのときの!」となり、そこから意気投合して仲良くなり、いろいろなことを教えたり、遊んだり……。

 今でも連絡を取り合う間柄ですし、お互いにメジャーか日本の監督になったときにはコーチとして呼ぼうということも話していました。私が2015年に楽天の監督になったときも、実は彼にコーチ要請しました。しかし、インディアンスの打撃コーチ(現在も)をしていてお互いの夢はかないませんでした。彼がメジャーの監督になったとき……もちろん力になってあげたいです。

 そしてここからは、You Tubeでは話していない外国人選手のことです。私の記憶の中に鮮明に残っている助っ人。それはロッテレロン・リーです。西武の若手は当時室内練習場でしか打撃ができませんでした。試合前に川崎球場の汚い室内へ向かったら、そこでリーさんが打撃練習をしていました。ものすごい形相で、何10分も打っていたのです。

 当時の助っ人のイメージは、練習をしない、でしたが、リーさんはすごかったです。練習が終わったときに私たちに日本語で「ゴメンナサイネ」と言った後、「プラクティス、プラクティス、プラクティス」と3回、練習という英語を言ってきたのです。「こんなすごい打者でも、これだけ練習するんだ」という衝撃を受けたのとプロのすごさを感じた瞬間でした。あの言葉と光景は今でも忘れられませんね。

『週刊ベースボール』2020年8月24日号(8月12日発売)より

PROFILE
大久保博元/おおくぼ・ひろもと●1967年2月1日生まれ。茨城県出身。水戸商高から85年ドラフト1位で西武に入団。トレードで巨人入りした92年に15本塁打。95年現役引退。野球解説者やタレントを経て、2008年に西武コーチに就任し日本一に貢献。12年からは楽天打撃コーチ、二軍監督を経て15年に一軍監督に就任した。15年限りで辞任し、16年から野球解説者をこなしながら新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」を経営している。

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