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COMEBACK INTERVIEW 4年ぶりNPB&オリックス復帰

オリックス・平野佳寿インタビュー 「ただ“帰ってきた”だけじゃない」 「スピードにこだわるからこそカーブをうまく使っていけたらいい」

 

戻ってきた男が頼もしい。2018年にメジャーに挑戦し、今季から4年ぶりに日本、そして古巣に復帰。だが、37歳を迎えるベテランは「ただ“帰ってきた”だけじゃない」と力強く言う。“プラスα”の投球を期して、なお進化を続ける。すべてはまだ見ぬ栄冠のためだ。
取材・構成=鶴田成秀写真=佐藤真一


“今までどおり”と“加えていく”もの


 キャンプ合流は入団会見翌日の2月11日。翌12日は早速ブルペン入りと、順調に調整を進めたのは日本復帰を想定していたからにほかならない。そんなベテラン右腕の投球は“技”も加わりつつある。培ってきた経験を基に“今までどおり”と、進化を期すもの──。メジャー帰りの37歳は円熟味を増している。

──日本復帰が発表されたのが2月6日。平野投手の頭には、いつごろから“日本復帰”の選択肢が出てきたのですか。

平野 年を越したときは、頭の中はアメリカ寄りでした。ただ、1月中旬ごろから日本と半分半分になって。そこからは徐々に「今年は日本でやりたいな」と思うようになっていました。

──自分の中で、決断する期限などは設けていたのでしょうか。

平野 正直、2月に入った時点でメジャーへの思いは完全になくなっていたんです。ただ、エージェントも僕のために動いてくださっていたので、動きを見守っていたというか。だから、仮に2月に入ってからメジャーの球団から声が掛かっても、僕は日本を選ぶつもりでした。

──とは言え、NPBはすでにキャンプイン。今年、プレーする場が決まらない不安もあったのでは。

平野 多少はありましたね。ただ、うれしいことに、オリックスがずっと声を掛けてくれていたんです。それも「メジャーからのオファーを待っていい」ということも言っていただけて。まあ、甘えていたという部分も少なからずあったのは確かです。でも、そうやって声を掛けてくれていたので、キャンプにはすんなり入っていけるようにしようと、調整は続けていたんです。

──FAとあって日本復帰はオリックス以外の選択も可能だったと思います。

平野 いや、オリックス以外は考えられなかったですね。オリックスがずっと声を掛けてくれていたので、ほかの球団は考えもしなかった。義理とか、そんなのではないですけど。日本で野球をやるならオリックスという考えだけでしたね。

──平野投手が2007年の入団から着けた16は、メジャー移籍した18年以降、復帰を待っていたかのように空番でした。そして、再び今季から同番号を着けることになりました。

平野 うれしいですよね。でも、僕が帰ってくるときのために空けていたかは、球団から聞いたわけではないので、そうじゃないかもしれないですけど(笑)。まあ、アメリカではいろんな番号(66、6)を着けさせてもらいましたし、いろんな番号を着けたい思いもあるんです。でも、やっぱり16は愛着のある番号。オリックスなら16番がいいという思いがあるんです。空いているのなら、16番がいい。また「オリックスの16」を着けられることは素直にうれしいです。

メジャーに移籍した18年から空いたままだった愛着ある『16』を再び着ける


──そのユニフォームに袖を通したのは2月10日の入団会見。復帰が決まった段階で、意識的に取り組んだことは。

平野 ないですね。ボールやマウンドの違いとかをよく言われますが、意識することは特に何もなかったです。ホント、今ままでどおり。シーズンに向けて引き続き体をつくっていくことだけでした。向こうは、大雑把なところがあったけど、こっちはしっかりコミュニケーションをとれるので、しっかりやっていこうと。投球の面など、周りと詰めた話ができるのは本当に良いことなので。

──メジャーに移籍する際にも、「今までどおり」と言っていました。日本に帰っても、その意識は変わらないのですね。

平野 そうですね。基本的な考えのベースは変わりません。ただ、僕も年齢を重ねてきています。その中で、今までどおりというわけにはいかない部分も当然あると思うんです。体力の衰えも出てくるところもあるだろうし、やってみないと分からないことが多いかもしれない。そういった点では、何かを加えないといけないとも思っている。“プラスα”も大事になると思っているんです。ただ帰ってきただけじゃない。そう言えるようにしていきたい思いはあります。

──会見翌日にはキャンプに合流し、ブルペンではカーブを重点的に投げ込んでいたのも、その“プラスα”でしょうか。

平野 そうです。スプリットだけでなく、もう一つ勝負球として使えるボールを増やしたかったんです。まあ、毎年、使いたいと思って取り組んでいたんですけどね。今年はいい感じで投げられているので、使っていきたいと思っています。

キャンプからカーブの精度向上に取り組み“プラスα”を期している


──2016年のキャンプでも、前年に投げなかったカーブとスライダーを投げ込み「すべての球種を自信を持って投げるため」と言っていましたが、今年も同じ意味合いで投げ込んだのでしょうか。

平野 一緒ですね。でも結局、あの年はシーズンではあまり投げなかった。スライダーも、カーブも、モノにできませんでした。勝負球で投げられるほど、自信を持って投げられていなかったんですよね。だから、自信を持って投げるためにも、今年もキャンプでとにかく投げ込んだ。今までより今年は感覚が良いし、年齢を重ねていくとスピードだけでは難しいなというのもある。相手バッターに(球種を)読まれることも出てくると思うし、選択肢を広げていきたいのもあるので、使っていきたいんです。

クビを振って投げた意味「自分を試していたんです」


──スライダーではなく、カーブを選んだのは「スピードだけでは難しい」という意味も含まれているのでは。

平野 そうです。緩急が使えるし、バッターの目線も変えられる。それに、僕の体の使い方に合っているんです。ストレートも、スプリットもタテ回転のボール。カーブもタテ回転ですよね。僕はヨコではなく、体を倒すようにタテに使って投げるタイプなので、ヨコ回転のスライダーよりもタテ回転のカーブのほうがしっくりくるんです。まあ、ダメなら捨てる(使わない)ことも考えていますけど。

──救援投手がカーブをあまり使わない理由として、高めに浮いて肩口から甘く入れば、長打を浴びるリスクが大きいというのがあります。

平野 だから、ダメなら捨てるんです。1点の重みが増すリリーフでは、しっかり見極めていかないといけない。でも、投げることで相手バッターに迷いが生まれるだろうし、真っすぐもスプリットも生きてくる。だからと言って「カーブもあるよ」と、投げればいいわけじゃないのは、やっぱり長打を浴びるリスクが大きいから。自信を持って投げる必要があるのは、そこなんです。

──オープン戦初登板となった3月9日のヤクルト戦(京セラドーム)では、初球にカーブを選択していました。

平野 相手はまず待っていないボールだったと思うんです。そこでストライクを取れると、その後が楽になりますからね。

──一転して二死二塁、カウント1-1の場面では、2度クビを振ってカーブを選択しましたね。

平野 ああいう場面でも投げたかったんですよ。決め球というか、仕留める球としても。カーブが頭にないと思っていたので。ランナーがいる場面。長打じゃなくても、ワンヒットで1点が取られるケースです。そこで、しっかり投げられるかが大事。自分を試す意味でもありました。しっかり投げ込めて、結果は泳いで内野ゴロ(三ゴロ)となったのは、まさに狙いどおりでした。

──そうして投球の幅を広げつつ、メジャーの経験を生かしたい部分もあるのでは。

平野 う〜ん……。ないですね。アメリカと日本は、やっぱり違うんで。アメリカで抑えられたから日本でも通用するかと言われれば違うし、その逆も言えること。バッターの傾向も違いますから。

──アメリカでは意図的に高めのボールを投げて、高低差を使うことを心掛けていましたが。

平野 はい。それは、皆さんが「フライボール革命」と言っているヤツで、ボールの軌道にスイング軌道を合わせるスイングが主流だったからです。極端に言えば、下から上に振り上げる感じですよね。だから高めのボールが生きたし、そのおかげで低めのスプリットで空振りも取れた。ただ、逆に低めのボールをすくい上げるように打って、ホームランにされることもありましたけど(笑)。

──日本の打者のスイング軌道はメジャーとは異なる、と。

平野 全員が全員ではないですけどね。日本に帰ってきて、スコアラーの方に最初に聞いたのが、まさにそこなんです。「この3年間で日本のバッターは、どうなりましたか?」と。話を聞いたり、映像を見れば、アメリカほどではなかった。だったら高めをそこまで使う必要もないのかな、って。もちろん中には、そういう(下から振り上げる)スイング軌道の選手もいると思いますよ。だから、そこは臨機応変に。そういうバッターには、そういう(高低を使った)攻めも使えるようにしていきたいと思っています。日本は日本の良いバッターがいる。そこを見極めて、そのバッターをいかに仕留めていくか。大事なのは、メジャーの経験ではなく、その見極めだと思っています。

不変の目標「登板数増」へ。マウンド後方で肩を入れながらの股割りと、4年前とルーティンも変わらない


──では、日本でプレーしていた際は「スピードにこだわりたい」とも言っていましたが、その考えに変化は。

平野 変わっていないですよ。僕、若いころから、ツーシームを投げるようになったら、投球スタイルを変えるとき、晩年のときだなって思っていたんです。でも、まだツーシームを投げたことはない。スピードだけでは難しいけど、だからといってスピードのこだわりを捨てたわけではないんです。年齢的には晩年には差し掛かっていますけど「やっぱりストレートだ」という思いは変わりません。それに、スピードって数字だけじゃなくて、一番大事なのは打者の体感速度だと思うんです。カーブを投げたいのは、その体感速度を上げるためでもあるんです。

──そうして投球の幅を広げていくのは、登板機会を得るためだと思います。

平野 もちろんです。入団会見でも言いましたけど、僕は、ここで投げたいと言ったことはない。与えられたところで、投げるだけです。監督、コーチの起用に応えるためにも、投げるための準備をしていくだけ。投球の幅を広げるのは、そのためです。

──となると、今年も目標は変わらず。

平野 もちろん変わらず1試合でも多く投げることです。今年は、60試合以上は投げたいと思います。

──帰ってきた「16番」の登板を見たいと思っているファンも多いと思います。

平野 そう思っていただければ、ありがたい。だから、しつこいくらい投げて、「また、コイツ投げているよ」と思ってもらえるようにしたい(笑)。その上でチームが勝つこと。自分がタイトルを獲っても仕方ないですから。優勝は言わずとしたチームの目標ですけど、自分が投げなくてチームが勝つのも悔しいじゃないですか。自分が多く試合で投げて、チームが勝ちを重ねていく。それが最高の形で、目指していくものです。

PROFILE
ひらの・よしひさ●1984年3月8日生まれ。京都府出身。186cm88kg。右投右打。鳥羽高から京産大を経て2006年大学社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団。1年目から開幕先発ローテ入り。10年に中継ぎに転向すると11年に最優秀中継ぎ、14年には最多セーブのタイトルを獲得。16年には史上3人目となる通算100セーブ&100ホールドを記録するなど、オリックスの絶対的守護神として君臨し、17年には日本代表として第4回WBCに出場した。17年オフに海外FA権を行使してメジャーへ。18年に日本人メジャー最多となる、75試合に登板するなどブルペンを支え、今季からオリックスに復帰する

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