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平野謙コラム

負けた悔しさも必要なんだけどな……【平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」】

 

07年リーグ連覇を果たした日本ハム


必ず優勝はできる


 日本ハム時代の2006年と07年を足早に……、というか忘れてることも多いので(笑)、ざっくり振り返ってきましたが、思い出してみると、同じリーグ優勝でも、この2年間は戦い方に違いがありましたね。これまでと少しだぶるところもあるかもしれませんが、07年について、あらためて思い出したこともあるので話していきたいと思います。ちなみにですが、この後に出てくる数字は、すべて編集部で調べてもらったものです。残念ながら、そこまで記憶力はよくないんで(笑)。

 一番違うのが盗塁です。06年はチーム全体で69盗塁だったのが、07年は112盗塁になっています。特に一、二番ですね。一番の稀哲(森本稀哲)が31、賢介(田中賢介)が27盗塁で、2人で半分以上です。犠打も133から151に増え、このうち僕のパ・リーグ記録(50)を抜きやがった(笑)賢介が58。前回も話しましたが、引退した新庄剛志は打率.258だからそう関係ないとしても、MVPの小笠原(小笠原道大)が抜けた後、いかに現在の戦力で勝つかを考えた結果です。

 単純に手堅い野球をした、スモールベースボールに徹した、というわけではありません。無駄な盗塁を仕掛けたわけでも、走者が出たら必ずバントをさせたわけでもないですしね。今いる選手たちの力を見て、それぞれの特徴を生かして勝つにはどうしたらいいかを追求し、一、二番は足を使おう、クリーンアップの前の賢介には状況に応じ、バントをさせよう、とやっていただけです。そもそも走ったり、バントを使う野球が、なんで小さい(スモール)んやとも思いますしね。

 ただ、あの年、チームは前半、なかなか勝ち切れなかったんです。人間、どうしたって成功体験があるじゃないですか。あの年で言えば、前の年は勝っていた展開のゲームが、紙一重で負けてしまったりする。なぜ勝てないかで、自分たちの中で疑心暗鬼になっていたんですよね。「やっぱりガッツ(小笠原)が抜けたからかな」みたいにね。

 僕から見たら違う。単に調子が上がらず、かみ合わせが悪いだけ。もともと、そんな圧倒的な力があったわけでもないですからね。それに、負けたんだから、なんでこうなったのか、じゃあどうすれば勝てるのか考えなきゃいけないのに、「何かおかしい」「こんなはずはない」で止まっちゃっていたというんですかね。

 そのうちゲーム差も開き、「今年は無理だな」って雰囲気に早々になってきたんですよ。そんな中で、僕一人が「普通にやっていたら優勝できるよ」と言い続けていた。みんなびっくりしていましたけどね。

 1つは経験です。中日西武、ついでに優勝争いはしてないけどロッテでも(笑)、チームのいいとき悪いときを見ていたんで、「こんなときもある」と分かっていた。あとはこういうときこそ、空元気じゃないけど前を向かなきゃいけない。能天気になるわけじゃなく、さっき言ったように、次に勝つにはどうしたらいいか考えなきゃいけないんです。惰性になるのが一番悪いんですよ。淡々と試合をこなすだけになると、どうしてもズルズルいきますからね。

 それに、見ていたら負け方が悪くなかったんですよね。投手がボコボコに打たれたり、ミスが多くてというわけじゃない。単に、かみ合わせがうまくいってなかった。これはゲームを重ねるたびによくなるだろうと思っていました。

なぜかお別れ会に


 日本シリーズの最後の試合をもう一度、思い出してみましょう。僕は第7戦までいったように思っていましたが、5戦だったんですね。意外と弱かったな(苦笑)。監督のヒルマンが、シリーズ前の練習中にメジャーの監督の面接のためにアメリカに戻って選手がしらけた話はしましたが、ゲームになれば関係ないですよ。そのくらいの集中力がないヤワな奴らはいなかったから。

 でも、絶対勝つんだ、という執念は少し薄かった気がします。ヒルマンの「日本の最後をいい思い出で」みたいなフワフワした気持ちが伝染しちゃった、と言うのかな(苦笑)。

 最後の第5戦は、こっちがダルビッシュ(ダルビッシュ有)、向こうが、山井(山井大介)でしょ。1勝3敗で王手をかけられたプレッシャーはあったけど、正直、勝って当たり前みたいな空気があった。山井はあの年、あまり投げてないし、「ほかにいないのかな。大変だな」と敵ながら思ってました(笑)。もちろん、いいピッチャーですよ。真っすぐは速くないけど、大きめのカーブとスライダーをうまく使う。でも、ウチの打線なら攻略できるだろうと思っていました。

 ただ、あの試合、2回に平田(平田良介)に犠牲フライを打たれ、先制の1点を取られたんですよ。あのとき、「なんかまずいな」と思った。何となくですけど、「やな1点だな」って感じました。

 その後は、なんとなくイニングが流れていく感じで、それを止めることができなかった。気がついたら7回くらいになっていて、まだ、得点どころか、ヒットも四球もない。「あれ、これは本当にやばいぞ」ってなって、さらに硬くなった。僕は完全試合というのは、現役時代もないけど、変な催眠術にかかっていたというんですかね。いつの間にか、山井が代わって岩瀬(岩瀬仁紀)が出てくるし、それもびっくりです(笑)。

 ベンチが何か仕掛けなきゃ流れは変わらないんですけど、塁に出ないから策も打てない(苦笑)。あとはダルビッシュが踏ん張って投げていたこともあります。相撲で言えば、がっぷり四つで、試合が動かなくなっていた。仮にだけど、ダルビッシュが2、3点を取られたら、勝ったか負けたかは別にし、完全試合はなかったでしょうね。

 また、試合の後が妙な雰囲気だったんですよ。ベンチ裏に戻り、僕は、ほかのコーチと「悔しいな」という話をしていたんですが、ヒルマンが選手、関係者一人ひとりとハグして、「ありがとう」って声をかけ始めた。彼にしたら、最後は負けたけど、2年間、パ・リーグで優勝して、自分の目標であるメジャーの監督を実現できたんだから、すごく充実感があったんでしょうね。

 もう、完全にお別れ会です。シリーズの反省もないし、ご苦労さんですらない。ただ、ヒルマンとサヨナラして、「メジャーでも頑張って」「君らも頑張って」だけ。

 ただね、残った選手は来年があるわけじゃないですか。この悔しさを晴らすために何をすればいいかを、少しは心に刻んでおくべき時間だった気がします。お別れ会は日をあらためてすればいいんですしね。

PROFILE
平野謙/ひらの・けん●1955年6月20日生まれ。愛知県出身。右投両打。犬山高から名商大を経て78年ドラフト外で中日入団。88年西武、94年ロッテに移籍し、96年限りで引退。俊足堅守の外野手で86年に盗塁王、リーグ最多犠打は7回を誇る。通算1683試合、1551安打、53本塁打、479打点、230盗塁、打率.273。

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