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「横浜一心」10年目の横浜DeNAベイスターズ

DeNA・国吉佑樹 インタビュー 10年間で芽生えた気持ち 「お客さんが入るにつれて、勝利を求められるチームに変わってきた」

 

田中健二朗に次ぐチーム在籍年数で、横浜DeNAベイスターズとともにプロ野球人生を歩んできた。どんな状況でもリリーフのマウンドに上がることができ、ロングリリーフ、先発もこなす頼りになる存在だ。196センチの長身右腕が感じた10年間のチームの成長。
取材・構成=滝川和臣 写真=BBM

2021年


2年目でDeNAへ


 入団当時から本格派右腕と期待され、育成ドラフト1位で入団。2年目で支配下登録されると初勝利も手にした。その後、球団のオーナー会社が変わるという混乱期を経験。DeNA1年目の2012年には中畑清監督がそのポテンシャルに惚(ほ)れ込み、先発で使い続けた右腕が当時を振り返る。

──2010年に育成選手でベイスターズへ入団されます。当時のチームの様子など覚えていますか。

国吉 育成契約だったので一軍の状況や、チームの雰囲気まで気にする余裕がなかったというのが正直なところですね。その日の練習をこなして、試合で投げるのに精いっぱいだったので、あまり記憶に残ってないんです。でも僕が入団する前から、チームの成績は低迷しているということは感じていました。

──入団2年目に支配下登録となり、10月の巨人戦で先発して初勝利。しかし、シーズンオフにDeNAがベイスターズを買収。当時はいろいろと報道がありましたが、選手として振り返ると。

国吉 最初は球団がなくなるのかなと思ったんです。何年か前に、近鉄が消えて、楽天という新球団ができたりもしましたから。僕ら選手は情報が何もないし、どうにもできないレベルの話でした。

──12月には親会社がDeNAとなることが発表されました。

国吉 Mobage(モバゲー)というSNSは知っていましたが、正直、DeNAって何の会社だっけ? という感じでした。僕はTBS時代が浅く、ベイスターズへの愛着もあまりなかったので新しいチームに生まれ変わるんだな、くらいの認識でした。でも、いろんなことが不安定で、ふわふわとしたオフシーズンだったことは覚えています。球団名が「横浜モバゲーベイスターズ」になるだとか、予想ユニフォームがスポーツ紙に掲載され、「こういうふうに変わるんだと……」と流れてくる報道を見ていました。

──親会社が変わってチームに変化はありましたか。

国吉 最初はDeNA自体も球団運営をどうしていけばいいのか、手探りだった印象があります。実際に1年目は選手と球団との間に溝はありました。でも、シーズンが進むにつれて徐々に埋まっていった。選手側から要望があれば、受け入れる、受け入れないかは別にして、思っていることはどんどん発言してほしいと球団からは言っていただいた。選手がプレーする現場を良くしていこうという努力はすごく感じられました。実際にチームが動き出すと、チームの雰囲気を含めて環境はガラッと変わりました。

──具体的に変わった点は。

国吉 横浜スタジアムのロッカーがキレイになりましたし、細かな部分では洗濯物一つから変わっていった。言い出したら切りがないくらい要望が形となっていきました。僕よりも年上の先輩方がいろいろ決めてやってくれていました。その当時に出来上がった選手と球団の関係は、今でも変わりません。現在もシーズン中に、何度か球団の方と話す機会が設けられており、今年で言えば、横浜スタジアムの水風呂が低い温度で維持できるような設備に変えていただいた。細かいことではありますが、プレーする選手には大切なことですからね。

──中畑清監督がDeNAの初代監督に就任しました。

国吉 今では中畑さんがすごく明るい方だと認識してしますが、監督を務める中畑さんがどんな人なのか、詳しく知らなかったんです。僕自身、プロで2人目の監督ですし、どういう方なのか興味がありました。12年は僕も支配下で迎える初めてのキャンプだったので、期待半分、不安半分。そうした中で、中畑さんがパワー全開で先頭に立ち、チームをまとめていきました。

2012年


観客の存在が自覚を生む


 先発からリリーフへと転向し、自分の居場所を築いた。その土台となるのは19年に161キロをマークした力強い真っすぐだ。これにカットボール、スライダーでアクセントをつけるのが投球の軸となる。今年は登板4試合目に連打を浴びて6失点。現在はファームで調整を続けているが、その目は常にチームの勝利に向けられている。

──12年は先発として完封を飾るも4勝12敗と負け越しました。何がうまくいかなかったのですか。

国吉 ある程度は投げられたんですけど、チームの勝利につながる投球や、劣勢でも流れを引き寄せるような投球が足りなかったですね。結果、負けが多くなってしまった。

12年5月、先発してシーズン初勝利を挙げた国吉[右]は2打席連続弾の筒香[左、現レイズ]とお立ち台に上がった。2人は同期入団の間柄


──14年になるとリリーフに転向し、49試合登板しました。

国吉 リリーフもやってみれば、面白いところがあって、任されているところで必死で投げていたら、気がついたら49試合を投げていました。このころになると、横浜スタジアムのスタンドにどんどんお客さんが増えていきました。オレンジの席が青く埋まっていくのが肌で感じられましたし、球場の雰囲気というか、空気も変わっていった。選手にとっても満員のお客さんはモチベーションとなり、チームもAクラスを争うまでになりました。でも、僕自身はケガがあったりして、思うように投げられずに不調の時期もあった。チームは初めてCSに進出(16年)、さらに日本シリーズを戦う中で(17年)、その波に乗れず、悔しい時期でした。

──先発復帰を模索するなど結果が出ない中で、18年、19年とリリーフで復活を果たします。自己最速161キロをマークするなど、フィジカルを鍛え直したことが大きかった。

国吉 それもありますけど、その時期にあらためて、自分の投球スタイルについて見直したことが大きかったです。18年オフにオーストラリアのウインター・リーグに参加したことも大きな経験となりました。やはり、強いストレートがあってこその変化球だな、と。前年にカットボールを覚えて、シーズン中に使っていたんですが、カット自体はいい変化球でしたが、変化球に頼るような投球になってしまっていたので、そこでフィジカルを鍛えて、ストレートに重きを置いてオーストラリアで投げることができた。実戦で投げながら学べることも多く、それがいい方向へ転がりました。

──強いボールを軸にするスタイルは今も変わっていない。

国吉 そうですね。それが僕のスタイルだと思っています。

──今年は三浦大輔監督が就任し、チームは新たなシーズンを迎えていますが、この10年間でチームや、投手陣の雰囲気は変わりましたか。

国吉 球場の雰囲気から変わりましたよね。お客さんの入り方が全然違います。誤解を恐れずに言えば、かつては負けることが当たり前のチーム状況だったとは思います。お客さんが入るにつれて、勝利を求められるチームに変わってきた。それが10年で一番の変化だと思います。街自体もベイスターズを応援してくれる雰囲気をすごく感じられるようになりました。

──投手陣では年齢的には最年長ではないものの、立場的には引っ張る立場です。若い投手陣をどう見ていますか。

国吉 若い投手がどんどん出てくるのはチームとすればいいことだと思います。僕も彼らと競争しながら、ベイスターズらしさというか、伝統を受け継いでもっと強いチームを目指したいです。勝利のために束になれるような雰囲気をつくっていければと思います。

──今はファームで調整という状況です。

国吉 ケガでの抹消ではないので、しっかりと腕を振れるように、コンディションを整えてやっていけばチャンスはあると思っています。

──早く一軍に復帰したいですね。

国吉 そうですね。一軍に昇格するには、いろんな競争相手がいる中で、こいつを使いたいと思ってもらえる選手にならないといけないですね。ボール自体は昨年に比べるとちょっと出力が落ちているので、自分のスタイル、投げ方をもう一度見つめ直します。三浦監督からは、「絶対に必要になるときが来るから、そのときにパフォーマンスを出せるように」と言われています。焦らずやるつもりです。

──10年以上、在籍するベイスターズへの思いは。

国吉 DeNAになるときは、「どうなるんだろう」と不安もありましたけど。やっぱり愛着がありますし、ベイスターズ以外でプレーすることは、想像すらしたことがないですね。


PROFILE
くによし・ゆうき●1991年9月24日生まれ。大阪府出身。196cm106kg。右投右打。秀岳館高から2010年に育成ドラフト1位で横浜(現DeNA)入団。11年途中から支配下登録されると先発としてプロデビューを果たし、初勝利を挙げた。2年目はシーズン19試合に先発し、4勝12敗ながら、初完封もマーク。14年からはリリーフに転向している。近年はフィジカルを鍛え上げ、19年には自己最速161キロをマーク。力のある直球にカットボール、スライダーを組み合わせた投球でDeNAのブルペンを支える。

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