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ダンプ辻コラム

駆け引きが多いほうが楽しくないですか【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

10月3日、ホームランの丸。浮上のきっかけになるのか


野球選手は繰り返しです


 ピンときました。だから、あのときすぐ電話をしたんですよ。これはホームラン打つぞって思いましてね。そう言ったでしょ(編集部注:10月3日、突然、電話をもらった)。

 え? 確かに、かけたのは打ったあとだったけど、一瞬のことだから仕方ないでしょ。僕は予言者じゃないんだから、打つ前に電話はできません(笑)。「やられた!」と思ったら、ホームランになったんですよ。1人でテレビを見ていたんで、誰かに言わんといかんなと思いましてね。

 読者の皆さんにも、どんなシーンか伝えておきましょうか。DeNA戦(東京ドーム)の巨人丸佳浩のことです。ヒッチして打つバッターだけど、悪いときはグリップを下げたらすぐ出ていく。タイミングを外したら簡単に空振りを取れます。今年はそういう打席が多かった。

 けど、あのときは下げたあと、すぐ出ないで、少しバットを動かしたんですよ。それを見たとき、「やられた!」って思った。完全にキャッチャー目線ですね。テレビを見ていて、いまだにキャッチャーに感情移入してしまうことがあります。長いことやりましたから習性みたいなもんですね。

 現役のころもよくあったんです。バッターのちょっとした動きで、「これは」と思ったら持っていかれちゃうことが。ピッチャーの失投というより、バッターと完全にタイミングが合っちゃったときですね。キャッチャーなら、それは打たれる前に必ず分かります。まあ、ボールを捕るのが精いっぱいのキャッチャーでは難しいかもしれないですけどね。

 もし丸がこれから調子を上げたとしたら、あの打席がポイントになったし、このままダメなら、たまたまだったということでしょう。野球選手って、そういう繰り返しです。一度、つかんだものは絶対忘れない、と言うヤツがいたら、よほどの天才か、単なるウソつきです(笑)。

 憎まれ口のついでです。この試合、横浜のピッチャーの今永(今永昇太)がバントしてゲッツーになったシーンもあったじゃないですか(7回)。巨人サイドにしたら大成功なんですが、いま送りバントのシーンで、外角一辺倒になることが多いでしょ。相手に当てちゃ悪いと思うのか、外ばかり投げて、時々、外に逃げるような球か、沈む球を投げるくらい。

 これって、ちょっと面白くないと思いませんか。あのときは、今永が一度バントを失敗して、捕手の小林(小林誠司)の体に当たったんですよ。痛かったかどうかは知りませんが、バッター側に少なからず、「しまった!」という思いが出てくるはずです。こう言うと、僕がすごく性格悪いヤツみたいな言い方になりますが、これが付け込みどころなんですよ。

 あのときは左ピッチャーと左バッターだったから、僕なら次はインコースの体に近いところから真ん中に来るカーブを投げさせました。仕返しか! と思って必ず体がひけるから、まずバントは失敗しますし、空振りになっても、そのあと外に投げたら届かない可能性が高い。

 体の近くからストライクになるカーブって、投げられないピッチャーが多いけど、あれは自分のカーブの軌道が分かってないからです。分かっていればバッターのこのあたりに投げたら、ここに曲がってくるというのも分かりますから、すごく武器になります。それを僕はブルペンで徹底して繰り返して覚えさせました。

 えいやあ、で真ん中あたりに速い球を投げて、えいやあ、で強いスイングをしてという勝負も迫力ありますけど、いろいろ駆け引きできるのが野球です。そんなの古いと言われるかもしれんけど、いまだに僕とか江夏(江夏豊阪神ほか)の話を喜んで読んでくれる人が多いのは、そういう野球を楽しいと思ってくれているからだと思うんですけどね。

腐っても元プロ?


 では、この間、お話ししたように、今回は横浜を98年限りでやめたあと、社会人を教えた話をしましょうか。優勝、日本一を飾り、チームは大いに盛り上がっているときでしたが、いらんと思ったんでしょうね(笑)、僕と竹之内雅史がクビになった。恨み節もありますが、もう昔話ですから、今は言いません。

 そのあと、なんのタイミングか忘れましたが、横浜スタジアムにあいさつに行ったら、球団代表の湊谷武雄さんから「神奈川県の社会人クラブチームのウィーンベースボールというチームがコーチを探しているんだが、見てくれんかな」と言われ、受けることにしました。当時は55歳。まだ隠居するわけにもいかん。ほかにもテレビ神奈川の仕事をもらったんで二本立てでスタートしました。

 当時、神奈川県にクラブチームが12球団くらいあって、ウィーンべースボールは、その中でも古株でした。選手のレベルはいろいろです。一人、東大卒という方がいてびっくりした記憶があります。

 もちろん若い人ばかりなんですが、その中で田所栄さんという僕より2歳上の人がいました。総監督という立場だったようですが、まったく偉そうにしない。掃除とか雑用を率先してやり、ブルペンキャッチャーもしたりする。60歳近いブルペンキャッチャーというのもすごいですよね。素晴らしいのが、まったく嫌そうじゃないことです。なんの抵抗もなしに裏方の仕事をすすっとやってる。しかも楽しそうにです。よっぽど野球が好きなんだな、と思って見ていました。僕のことも知っていてくれ、いろいろ話をしました。もう生き字引というのか、神奈川クラブチームの成り立ちとかも、田所さんに細かく教えてもらいました。

 ただ、ここでやったのは8カ月くらい。そのあと横浜球友クラブから誘われて、こっちでは4年間お世話になりました。記憶しているのは、3年目くらいかな。石本豊という横浜で一緒にやった選手が来たんです。一軍出場なく、プロをクビになったんだから、飛び抜けて力があるというわけではないけど、ほかと比べたらやっぱり力はあった。

 石本の活躍もあって、4年目(2002年)、クラブ対抗の南関東大会準決勝まで進みました。これが終盤まで0対1で負けていた試合なんですが、石本は足首をねん挫して、歩くのがやっとくらいだったんですよ。それでも痛いのを承知で出場し、8回に先頭打者でヒットを打った。走れんから歩いていってましたが、それでも一塁はセーフです。

 そしたら向こうの二遊間が、深く引いた。走らんと思ってゲッツー狙いですね。ダンプも石本も腐っても鯛じゃなく、元プロです。走れのサインを出し、あいつも必死に走った。あとで聞いたら「痛かったけど、走れた。あまり苦しまないで走れましたよ」。そんな言葉を聞きました。

 向こうはびっくりして、たぶん、「あれ、おかしいぞ」と負の意識ができた。こっちは逆にいい風が吹き始めて、逆転勝ちで勝利し、そのあと全国大会進出となりました。

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