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ダンプ辻コラム

キャンプで1時間見とれた鈴木尚典のバッティング【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

王のような打撃をしていたという鈴木


魔法の背面スイング?


 この間、テレビを見ていたら、ものすごいものを見ましたよ。アメリカの映像でしたが、右打者が左打席で打つんです。えっ、スイッチヒッター? ブルブルブル(と首を振る)、違います。右打ちの打者が左打席に入り、ホームベースに背中を向けて構えて、投げてきた球をキャッチャー寄りに回転しながら打ち返すんです。サーカスみたいですよね。久しぶりにびっくりしました。球から1回、目を切って打つんですが、それでもパカパカといい当たりをしていましたしね。

 番組で、これを巨人の松原(松原聖弥)の兄だったか、弟だったかのタレント(松原ゆい)がやったんですよ。ちょっと待ってください。メモを見ますから……。ああ、兄ですね、兄。最近、話さなきゃならんと思ったことをメモしてるんですよ。で、松原の兄ちゃんは何球か分からんけど、しばらくはまったく当たらんかったのですが、突然、2球連続でいい当たりをした。

 そのときのスイングが今風なんですよ。ヘッドを返さないスイングです。バットを棒のように振るというのかな。これについては僕なりに分析した話もあるんで、今度また。できたら、その前にYou Tubeか何かで見といてください。番組名? 忘れました。それはメモしなかったんで(笑)。

 今回もちょろりと日本シリーズの話をしておきましょうか。第6戦(ほっと神戸)の5回裏、オリックスが1点リードされた場面で、福田(福田周平)が2-2からのフォークを詰まってレフト前に運んだときです。カウントまでよく覚えている? これも一生懸命メモを取ったんですよ。会ったときに、しっかり説明しないといけないと思ってね。時々、そのメモをなくして困るんですが(笑)。

 浅かったんで難しいと思ったんですが、二塁走者の若月(若月健矢)が躊躇(ちゅうちょ)なく三塁を回ってホームを突いた。タイミングは微妙でしたけど、前進守備の青木(青木宣親)の送球がシュート回転しながら走者に当たって、セーフになりました。

 思い出したのが、阪神時代の外野手・藤井(藤井栄治)さんです。ライトを守っていたときは、ホームでミットを構えていたら、動かさんでもパチンと収まる正確なスローイングをした方です。藤井さんはライトからの送球はファウルラインを目印にし、地面に着いてからのシュート回転のバウンドも計算して投げていた。けど、レフトに回ってからは、それが難しくなったという話をしていたのを思い出しました。

 確かにレフトからのバックホームは走者が入ってきますから、当たる危険もある。ただ、あのとき青木が自分のシュート回転も計算して投げたら違っていたかもしれません。今はコリジョンルールがありますし、外野からの返球で刺すのが難しくなったとも言えるのかな。でも、いくら青木の肩が大したことないにしても、あの当たりでよくかえりました。走者とベースコーチのファインプレーだったと思います。

鈴木のイップスを直す


 次に僕の横浜での二度目のコーチ時代の話にしましょうか。一度、お話ししたことがありますが、古葉(古葉竹識)さんが亡くなったり、鈴木尚典石井琢朗が横浜(DeNA)にコーチで戻ったりで、いろいろ話していないことも思い出したんで。

 僕は1987年、古葉さんが監督をされていたときに、阪神の村山(村山実)さんに呼ばれて阪神に戻ったんですが、93年、球団の名前が横浜ベイスターズとなったとき、近藤昭仁さんから「今度、俺が監督になるんだが、一軍のコーチで来てくれんか」と言われました。

 それで阪神に断りを入れ、横浜に戻ることにしたんですけど、あとで近藤さんから涙の電話があった。「何度も止めたんだが、フジテレビの常務と球団社長が約束してしまって、大矢(大矢明彦)が一軍のバッテリーコーチになったんだ。すまん、ダンプ……」。びっくりですが、これもダンプの人生かと思いました。

 二軍のコーチももう決まっていたので、急きょ僕のためにつくってくれたのが、育成部です。たぶん、育成部門をつくったのは日本で一番早かったんじゃないかな。実は、これも密かな自慢です(笑)。コーチは僕のほかに小山(小山昭吉)だけで、一軍に入ってきた高卒の選手、遠征の残留選手、故障選手、一軍の調整選手が担当でした。日本初の育成部ですから具体的な仕事が決まっていたわけじゃありません。僕なりにのんびりと頑張ってやっていました。2年目くらいのメンバーに自主トレで頑張り過ぎて手首を痛めた波留(波留敏夫)と右鎖骨を痛めていた万永(万永貴司)あたりがいました。

 そんなとき一軍でコーチをしていた弘田(弘田澄男)が、まだ二軍選手だった鈴木(鈴木尚典)を室内に連れてきて、「辻さん、こいつボールを投げれんくなった」って。要はイップスです。肩も痛いと言っていました。そこで阪神のコーチ時代、木戸(木戸克彦。捕手)がイップスになったときを思い出して話をした。あのときは徹底してネットスローを繰り返させ、頭で「投げよう」と考えなくても投げられるまで繰り返したのですが、鈴木は外野手だし、同じことをさせるとフォームが小さくなると思ったんで、上に向かって投げるネットピッチをさせ、2日くらいで治りました。

 あいつについては、首位打者を獲(と)った2年(97、98年)のどっちかの宜野湾キャンプも覚えています。室内で一人で特打をしていたから、「見るぞ」と言って「どうぞ」と言うから見ていたら、1時間くらい見とれちゃった。

 何がすごいって、まったく同じリズムなんですよ。構えて、ボールを見て、引いてトップをつくり、そこでまた見て打つ。普通は見て引いたら打つでしょ。鈴木には間(ま)があって、しかも、そのスイングが1時間ずっと変わらんかった。「変わらんな。すごいな」って言ったら、「ええ、これしかやってません」と笑ってました。

 思い出したのは、王(王貞治)さん(元巨人)の一本足打法です。一本足打法は大洋の黒木(黒木基康)さん、片平(片平晋作。南海ほか)もやっていたけど、彼らは好成績が出ても長続きせんかったでしょ。王さんとの違いはどこかと言えば、間なんですよ。2人にはそれがなかった。引いてトップの位置に入れたらそのまま打ちにいく。間がないからタイミングを外されたらもう打てない。王さんは違います。パッと構えて、そのあと見て引いて、そこでまた間をつくってからドンと行く。鈴木と同じでした。

 あと、普通、ボールをとらえるポイントって内角は前、外角は後ろになり、打者から見て遠いほうが捕手寄りに向かう直線でしょ。だから内角は引っ張り、外角は逆方向に行くんですが、王さんは、これが体から垂直だったんですよ。内角も真ん中も外角もバットで打つラインが一緒だった。これが分かったときはびっくりしました。たぶん、あの人はボールを“引っ張る”という意識はなかったと思う。ただ、来た球を打つ、だけでね。

 王さんの打撃の話をすると、いつも小難しくなりますが、何もかも規格外れの方なんで仕方ありません。

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