週刊ベースボールONLINE

ダンプ辻コラム

もったいなかった大洋の新井克太郎【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

プロでは1勝に終わった新井


なぜ2試合目で打たれたか


 う〜ん、1回話したからと、この間、話しかけてやめましたけど、やっぱり新井克太郎のゲームの話はしといたほうがいい気がします。自慢話? 多少、自慢もありますけど(笑)、ちょっとだけ視点を変えたんで、前を覚えている人も楽しく聞いてもらえると思いますよ。

 新井克太郎は、(大宮工高から)ドラフト外で昭和53年(1978年)に大洋に入ったピッチャーで、なぜか名字だけじゃなく、フルネームで呼びたくなる男です。あの年、確か昭和56年(81年)だと思うけど、初めて一軍に上がったのですが、使いどころがない成長過程の選手と言えばいいのかな。敗戦処理みたいな場面で、ちょこちょこ出ていただけでした。

 それが8月の終わりに先発がいないということで中日戦に先発し(8月31日、横浜)、9回1失点の完投勝利をしちゃったんですよ。あれがプロ初先発だったはずです。もちろん、僕がキャッチャーをしてです。本人にとって、まったく初めての体験でしたから夜のスポーツニュースをその日の放送が終わるまで見ていたそうです。

 次の日、グラウンドに現れたときも、完全に喜びに舞い上がっていました。僕はそれを見て、「これはいかんぞ。早く落ち着かせないと、次の登板で失敗するかもしれんな」と思って、いろいろ言ったんですが、「はい」といい返事をしながらも足が地に着いとらん(苦笑)。こりゃ大変だと思っていました。

 それで1週間後(9月6日)、今度はナゴヤの中日戦で先発するとなった。でもね、残念ながら捕手は僕じゃなかったんですよ。大洋はほかにベテランの捕手がいたからね。で、俺じゃないなら打たれろ……と思って、いや冗談です(笑)。「抑えろ、抑えろ、頑張れ、頑張れ、新井克太郎!」と祈りながらも、ブルペンではコーチでもないのに試合が始まってすぐ次の投手を準備させていました。正直、抑えられるとは思えんかったんで。やはり心配したとおり、中日の意地にやられ、2回一死で交代でした。

 大げさな話じゃなく、このとき僕が受けていたら、そんなことにはならんかったと思います。前の登板で中日打線をこうやって抑えた、次はこうしようというのも僕の中にありましたから。はっきり言えば、僕に受けさせないんだったらコーチが僕から話を聞いたうえで、よくその日のキャッチャーと打ち合わせ、前の試合の結果を踏まえた配球や攻め方を指示すべきだった。前の試合は、たまたまの運もありましたからね。経験の少ない投手は1回結果を出しても、2回目が続かんときがよくあるでしょ。みんななぜ抑えたか根拠を分析せず、前回抑えたからだけで投げさせちゃうからです。

 新井克太郎は結局、その年はもう先発のチャンスをもらえず、次の年からは一軍にも上がれず引退になりました(83年)。プロの世界では、そういうもったいないこともよくあります。

クセ球生かした間柴


 で、彼にとってプロで唯一の勝利になった試合ですが、どうやって成功したか不思議に思わないですか?

 それはですね、僕が洗脳じゃないけど、全球、こっちの言うとおりに投げさせたんです。その際、気をつけたのは同じ球種を続けないことです。同じ球種でもスピード差をつけ、タイミングを狂わせて投げさせました。スピードは3種類です。全力、80パーセント、あと、これはスピードじゃないけど、ボール球。全力はほんと時々です。1球たりとも同じ球を投げないよう、しっかり考えて投球させ、新井克太郎はそのサインどおりに投げて抑えたわけです。だから彼の中にも、自分がなぜ抑えたか、分かってなかったと思います。ほんと捕手冥利に尽きる試合でしたが、これが新井克太郎の成功への道になればもっとよかったんですけどね。

 大洋時代の話をもう少ししましょう。阪神から大洋に移籍して1年目(75年)は秋山登さんが監督で、それなりに使ってもらいました。ただ、こちらは阪神の最後の3年はコーチになるつもりで運動不足になっていましたし、また失礼な言い方になりますが、阪神の投手陣と比べ、大洋の投手陣があまりにレベルが低く、秋山さんに迷惑をかけてしまいました。それで結局、ブルペンにいることが増えたので、大洋の投手を分析し、僕の力でレベルアップさせられそうだなと思ったのが、竹内(竹内宏彰。78年までは竹内広明)、間柴(間柴茂有)、高橋(高橋重行)の3人でした。

 竹内はオープン戦で僕がカーブを3球続けて投げさせて三振にさせたことがあり、本人が喜んで「ダンプさん、自分でもびっくりです。あんな配球もあるんですね」と話していたことがあります。間柴は左投手で投球のほとんどがナチュラルでスライドし、突き指しやすいから捕手が一番嫌がる球筋でした。それで昔、同じような球を投げた古沢(古沢憲司。阪神ほか)を教えたときを思い出し、心配しないでそのナチュラルなスライダーを武器に戦っていこうと激励したら、調子が上がり、勝ちが計算できるような投手になりました。ただね、これだけやったのに日本ハムにトレードになって(78年)、向こうで10勝できる投手になった。あれももったいなかったですね。

 高橋は体が大きく柔らかい投手で千葉出身の投手です。大きなカーブとスライダー、フォーク、そして当時としては珍しいチェンジアップを投げていました。

 そうそう、この人は江夏(江夏豊、阪神)の公式戦初めての9連続奪三振を阻止した人です。投手なのにヒットを打った? いえいえ、江夏が8回同点の場面で登板したときです(68年6月4日大洋戦)。あいつは最初キャッチャーフライのあと10回表で8連続奪三振だったんですが、10回裏、なんと僕が高橋からライトスタンドにサヨナラホームランを打って試合が終わっちゃった(笑)。あのときの江夏の仏頂面は今でも覚えてます。

ダンプノート#08 外にバットが出やすい打者への攻め


※1はストレート、2はシュート、3はカーブ、4はスライダー。捕手からの視点


 打率が低くアウトサイドにバットが出やすい人には、初球を外でストライクのあとボールになるシュート系の球、3球目は外低めへの大きなカーブ。これで2トライクになるはずです。そのあと4球目を打ちごろの高さですが食い込むスライダー。これで内野ゴロです。

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング