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『逃げてもええねん――弱くて強い男の哲学』より

最後の近鉄戦士・坂口智隆の打撃の原点――鈴木貴久さんからの言葉【第6回】

 

近鉄、オリックスヤクルトでプレーして、現在は野球評論家として活躍する坂口智隆さん。現役時代には「ケガに強い」「弱音を吐かない」武骨でストイックなイメージがありましたが、「本質は違います」とご本人。「こんな地味なプレーヤーの自分でも、20年プロ野球の世界で生きていけた」理由、考え方とは。6月に刊行された初の自著『逃げてもええねん――弱くて強い男の哲学』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋しご紹介します。今回は、プロ野球界の恩師、元近鉄二軍打撃コーチの鈴木貴久さんから教わったこと。

ドラ1でも「2、3年でクビ」を覚悟


近鉄に入団し、プロ2年目の春季キャンプでの坂口


 高校時代はエースを務めていたものの、プロの世界では通用しないことはわかっていました。外野手でスタートすることになりましたが、高校時代まで伸びていた鼻っ柱が、すぐにへし折られました。

 プロ野球はアマチュア球界の実力者たちが集まる世界です。僕は、近鉄にドラフト1位で指名されましたが、同期入団の選手の中でも力の差を感じていました。

 大卒、社会人出身の選手たちはワンランク、レベルが上の世界でやっていたので仕方ないかもしれませんが、同じ高卒でもドラフト3位で入団した筧裕次郎を見て「すごいな」と。明徳義塾で全国制覇した中心選手だったので高校時代から有名でしたが、1年目の紅白戦でバットの芯にきっちり当てていました。

 高校とプロ野球の投手とでは、直球の球威も、変化球のキレも、まったく次元が違います。僕はバットに当てることさえできなかった。正直、このままでは2、3年でクビになると思いました。「期待に胸をふくらませて」、ではなく「不安でいっぱいのスタート」だったのです。

 そのときに出会ったのが、二軍打撃コーチを務めていた鈴木貴久さんです。

鈴木貴久さんの言葉「空振りしてもいい」


 貴久さんの考え方はシンプルでした。プロに入る選手たちはそれだけの才能があるのだから、長所を伸ばせばいい。だから、自分の打ちたいかたちで打てと。もちろん、技術的な修正はありましたが、大きく変えることはありませんでした。

 口酸っぱく言われたのは、次の言葉です。

「空振りしてもいい」

「ファーストストライクを見逃すな」

 バッターは空振りすることが一番嫌です。長距離打者ならともかく、塁に出ることが求められる役割の僕が、空振りをしてもいいというのは驚きでした。

 実際に、ファームでなかなか安打が出ずに、結果を求めて当てにいくようなスイングをしたときは怒られました。

 ファーストストライクの重要性は、20年経った現在でも変わりません。ファームで1年目に打率.302をマークし、シーズン終盤に一軍に昇格してプロ初安打を放ちましたが、貴久さんに出会わなければ打撃の方向性が見つからなかったと思います。

 二軍にいるときは、朝早くからマンツーマンで練習についてくれて、夜間練習にも付き合っていただいた。打撃練習のときは糸が張り詰めるような真剣な空気が流れていましたが、人間的にはすごく温かい人でした。

 高卒1、2年目の若造の僕と同じ目線でコミュニケーションをとってくれて、ユーモアがあった。近鉄を象徴するような豪快な方でした。

受け入れられなかった突然の別れ


 貴久さんとの別れは、突然でした。僕がプロ2年目の04年5月17日。貴久さんは、40歳の若さで急逝しました。そのときはショックが大きすぎて何も考えられなかった。指導者という枠を超えて、人間として大好きな人だったので、目の前で起きた信じられない現実をなかなか受け入れられませんでした。

 貴久さんに巡り会わなければ、自分の打撃の軸はできなかったし、2、3年でプロ野球の世界から消えていても不思議ではなかった。もっとたくさんいろいろなことを教えてもらいたかったですが、1年でも長く活躍することが恩返しになると思ってプレーしてきました。

 貴久さんから教えられたことが、僕の打撃の原点です。現役は引退しましたが、指導する機会が今後あったときに、近鉄で学んだ教えを、次の世代に継承していきたいと思います。

写真=BBM

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