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第29回 V5を達成した巨人の強さ vs 正力社主の死、金田400勝の「大事件 」|「対決」で振り返るプロ野球史

 

高田のレギュラー定着と阪神に勝ちまくった高橋一の存在が大きい


69年10月9日、セ・リーグ5連覇を決め祝勝会に臨む巨人首脳とON(左から荒川、王、牧野、白石、川上、長嶋)。後ろには正力社主の遺影が


 第28回では、1968年の阪神江夏豊投手と巨人打線の勝負をお伝えしたが、江夏に5完封を食らうなど、終盤を除いては、完璧に抑え込まれた巨人だが、シーズントータルで見ると、江夏にだけ抑えられた感じで、ほかの投手は攻略し、5チームにすべて勝ち越す完全優勝を達成した。巨人は日本シリーズでも阪急を4勝2敗で下し、これで4年連続日本一となった。日本シリーズ4連覇はプロ野球史上初めてのことだった(これまでの記録は51〜53年巨人、56〜58年西鉄の3連覇)。

 巨人はこの記録を73年まで伸ばし、いわゆるV9を達成するのだが、9度のVの中で、どの年の巨人が一番強かったか、というのはファンのみでなく、V9戦士たちの間でもよく話題になる。

 そして、落ち着くところは「V5じゃないかな」。これはエースだった堀内恒夫前巨人監督も柴田勲元外野手も「そのへんだね」と口をそろえる。V5は69年。V9のちょうど中間点だ。この年も全球団に勝ち越す完全V。勝率.589はV9の中で5番目。最高勝率の66年(.685)より1割も低いのだが、69年あたりになると、団塊世代前後の若い投手が力をつけ始め、V9の初めの方のように、簡単に点を取れなくなってきた。江夏以外にも平松政次(大洋)、外木場義郎(広島)、星野仙一(中日)、松岡弘(アトムズ)らが台頭してきた時期である。

 事実、70年になると巨人は阪神、大洋に負け越すことになる。江夏、平松がともに20勝投手。巨人は攻略の難しい苦手な投手の出現で、圧倒的な力を見せつけての優勝は昔話になった。

 しかし、そういう状況の中で全球団に勝ち越してV5を達成した69年は、まず左のエースが出現したのが大きかった。この年23歳の高橋一三が最多勝(22)。しかも、勝率がトップ(.815)の負けないエース。打線は相変わらずONが大活躍。王貞治は本塁打(44)、打率(.345)の2冠。長嶋茂雄が115打点で打点王とこの年も打撃3部門を“2人占め”。巨人打線は最高打率、最多本塁打、最多安打、最多得点と打ちまくったが、最多四球、最少三振と粗い攻めとは無縁だった。

 それと柴田が「高田繁がレギュラーに定着して初めて巨人打線が完成した」と言うように、この年、2年目の高田繁外野手が左翼に定着して規定打席に達し、しかも打率4位(.294)の好成績。守備力も抜群。高橋一、高田といった“新鮮力”がファンには魅力的に映り、印象の深い年になったのだと思われる。

 前年5完封を食らった江夏にはこの年も6勝を献上したが(4敗)、高橋一が7勝してお返し(0敗)。江夏にも2度投げ勝っている。ライバルチームをねじ伏せる投手の出現は、「強い!」の印象を与えるものだ。江夏の残り2敗は、いずれも堀内に投げ負けたものだから、阪神戦ではわずか2つの勝ち越しでも(13勝11敗2分)巨人圧勝のイメージが残った。

 他チームに対しては、中日(17勝8敗1分)、アトムズ(16勝10敗)に圧勝。ここで15の貯金だ。しっかり稼げるところで稼ぐのがVへの近道なのだ。

正力社主死去の日に優勝決定。長嶋が“弔砲”の29号本塁打を放つ


 巨人は10月9日、中日に勝って優勝を決めたのだが、この日、巨人の創立者である正力松太郎読売新聞社主が84歳で死去。巨人ナインは、喪章をつけて試合に臨み5対2で勝った。高橋一が完投勝利、長嶋が弔砲となる29号本塁打を放った。

 川上哲治巨人監督は、正力社主についてのちに「(V9を達成できたのは)何と言っても、正力松太郎社主に信頼されている、といった精神的なものがあったからです。(昭和)三十七、三十九年、2度の失敗をやっているのですが、ワシは絶対お前を信じている、とおっしゃってくれた正力社主の言葉があそこまでやらせてくれたものと思っています」と語っている(『東京読売巨人軍五十年史』=東京読売巨人軍発行より)。

 裏を返せば正力社主の存在は、巨人の誰にとっても大きなプレッシャーだったが、それだからこそ必死の戦いを続けることができたのだろう。

 それにしても正力社主死去の日に優勝決定というのは、因縁めいている。やはり巨人は正力社主の“自慢の息子”だったのである。

 また、この年は個人記録の年で、長嶋が3000塁打、1000打点、300本塁打、1500試合出場。王は7年連続40本塁打以上の日本記録。1000打点、400本塁打。日本タイ記録の8年連続本塁打王。柴田勲が300盗塁。

 しかし、何と言っても不滅の大記録は金田正一の通算400勝である。20勝を20年続けてようやく達成できるのだからものすごい数字である。10月10日の中日戦(後楽園)で城之内邦雄をリリーフして達成した。ちなみに中日の負け投手は星野仙一だった。

 金田は65年に国鉄からB級10年選手の特権を行使して巨人移籍。プロ入り後、初めてヒジを痛めて11勝に終わり、連続20勝以上の記録は14年でストップしたが、最優秀防御率のタイトルを獲得(1.84)。これが巨人時代唯一のタイトルとなった。その後、4勝、16勝、11勝、5勝でプロ野球人生を終えた。400勝が史上最多なら298敗も史上最多。“生きたプロ野球史”のような金田を川上監督は敬意を持って起用してきた。巨人での5シーズンで開幕投手が4度、69年も開幕投手だった。金田はこの年限りで引退した。

 これだけのことがあった巨人の69年。ナインの記憶に残るシーズンになるハズである。「強い」とは、こういう出来事もすべて含み込んだ総体への評価なのだろう。

文=大内隆雄

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