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第30回 69〜70年の八百長問題 vs 6人を永久失格処分|「対決」で振り返るプロ野球史

 

西鉄は把握していたのに隠し続け、マスコミにスクープされる


70年5月4日、記者会見する西鉄の6選手。左から基、池永、与田、村上、益田、船田


 1969年10月8日、読売新聞と報知新聞が、西鉄の永易将之投手が公式戦で八百長行為をしていたと報じたのが発端だった。驚いたパ・リーグは、13日に理事会を開き、永易を永久失格(追放)選手とした。事件の発覚で西鉄は、かなり前から事態を把握していたことを認めた。西鉄は永易に出頭要請を行っていたが、応じなかったという。

 理事会は八百長や暴力団との交際を理由にではなく、出頭要請に応じなかったことと、練習不参加を理由に(統一契約書不履行)永久失格選手とした。さすがにこれではまずいとなり、当時の宮沢俊義コミッショナー委員会委員長は、11月28日、敗退行為(八百長)を行ったことでの永久失格選手とした(永易は行方をくらます前に西鉄球団の調査に対し暴力団関係者から現金を受け取って敗退行為を行っていたことを認めていた。また、西鉄は与田順欣益田昭雄の両投手も暴力団から現金を受け取っていたことも分かっていた)。

 いずれにしろ、永易をコミッショナー委員会が直接査問することが、問題解明への第一歩であることは明らかだった。

 永易は鹿児島、名古屋、北海道と居場所を転々と変えていたが(西鉄は発覚を恐れ逃走資金を永易に渡していたと言われる)、70年4月4日に東京に現れ、フジテレビに録音テープを渡したり、同局の番組に出演(録画、8日)したりと派手な動きを見せた。

 永易は「八百長は3回試み、南海戦1試合のみ成功した。その八百長に加わったのは投手3人、野手4人(のち3人に訂正)」と語った。この発言を受けるような形で西鉄は9日、永易が言う6選手の名前を公表した。それは与田、益田の両投手のほかに池永正明投手、船田和英内野手、村上公康捕手、基満男内野手だった。

 永易はすでに警視庁捜査4課の事情聴取を受けていたが(5日)、10日、衆院第二議員会館で記者会見したあと、コミッショナー事務局に向かい、コミッショナー委員会の事情聴取を受けた。ここで新たに元西鉄、中日田中勉投手、元南海の佐藤公博投手の2名が八百長をやっていたと発言。八百長問題は、どんどん広がっていく気配になってきた(このころ、もう“黒い霧”という表現がマスコミで使われるようになってきた)。

 ここからは駆け足になる。5月4日、西鉄6選手がコミッショナー委員会の喚問を受けたあと記者会見、全員が「八百長の事実はない」と否定。しかし、その後、金銭を受け取っていたことを認める選手が出て、突き返したり、保管したりしたことが分かった。5月25日、コミッショナー委員会は6選手に対する裁決を発表。与田、益田、池永の3選手が永久失格、船田、村上の両選手が70年シーズンの野球活動停止、基選手が厳重注意となった。

 筆者は当時大学生だったが、100万円を田中(前出)から受け取ったが、預かってもらわないとオレ(田中)の命が危ないと言われ、そのまま神棚に置いたと語っていた池永の永久失格処分はひどいと思った。テレビで池永が泣きながら「オレはやっていないんだ!!」と叫ぶ姿がいまでも目に焼き付いている。ほかの5選手は、池永のような明瞭な意思表示をしなかったから余計に記憶に残った(池永の処分は05年にようやく解除)。

「震災と八百長は忘れたころにやってくる」の認識を忘れるな


 池永を誘った田中はオートレースで八百長を仕組んだとして4月23日にすでに逮捕されていたが、同じ容疑で逮捕状を取った元暴力団準構成員の藤縄洋孝という人物も、この日自首した。この藤縄は、永易に八百長を頼んだ人物と言われた。

 さらに5月6日、中日の小川健太郎投手がオートレースで八百長を仕組んだとして逮捕され、6月3日、コミッショナー委員会は小川を永久失格処分とした。またオートレース八百長事件で阪神葛城隆雄選手が5月19日に逮捕され、セ・リーグは6月18日、葛城を無期限出場停止処分とした(のち3カ月の期限付失格選手となり、期限後は自由契約選手となる)。

 処分者はまだまだ出た。7月30日、永易と藤縄から50万円を受け取っていたことを認めていた東映・森安敏明投手を永久失格処分とした。さらに9月8日、ヤクルト桑田武内野手がオートレースの八百長容疑で逮捕された。10月1日、桑田は3カ月の期限付失格選手となった。

 これで“黒い霧事件”の登場人物はほぼ出そろったのだが、ハッキリと八百長をやり、もらった金を使ったと言明しているのは、森安1人。森安は「八百長に2度失敗した。藤縄が野球賭博の常習者だと分かり、こんな金ならと使ってしまった」と語っている。アケスケと言うか、アッケラカンと言うか、ここまで言ってしまっては、永久失格も仕方ないところだが、ほかの選手の場合、アイマイなまま、という印象が残る。オートレース八百長組は、プロ野球の試合で八百長を行ったのかどうかもハッキリしていない。与田、益田の2人は、クロにしろ、シロにしろ、池永のように自己を主張することもなかった。

 処分はどんどん出されたが、処分された選手たちが具体的に何をやったのかは黒い霧の中に閉ざされたままになった。「あんなものではない。氷山の一角にすぎない」の声も強い。

 南海・鶴岡一人監督を扱ったところでも書いたが、八百長問題はプロ野球の歴史とともに古い。敗退行為を伴わなくてもプロ野球の試合そのものが賭博の対象になってしまうのは、先の大相撲の力士たちの不祥事で明らかになった。そういう危うさがプロスポーツには常につきまとう。「震災と八百長は忘れたころにやってくる」という認識は忘れないようにしたい。(文中敬称略)

文=大内隆雄

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